佐柳恭威氏のパンデミック対策は単なる「机上の空論」

『日経ビジネスオンライン』で、格付け会社スタンダード&プアーズ危機管理顧問の佐柳恭威という人物が、相変わらず的外れな事業継続のためのパンデミック対策を語っている。
ただ、他からもツッコミが入ったのか、微妙に発言が軌道修正されている。たとえば、社員の家族の感染を防止することも重要だと語り始めている。
しかし依然として企業目線の議論に終始しており、「企業が社員を通じて家族の啓蒙に努め、学校での感染拡大を防ぐ取り組みを支援する必要がある」などと書いている。
佐柳恭威氏は自分の議論の根本的な欠陥に、まだ気づいていないらしい。
一つは(1)パンデミックが起こったときの状況を、「国と自治体」「企業」など、個々のプレーヤーの観点のみで考えている点。
もう一つは(2)パンデミックによる被害を「予防」したり「最小化」する観点のみで考えている点だ。
(1)に関して言えば、社会を個人から国家まで、さまざまなレベルのプレーヤーの相互作用としてとらえていない。
繰り返しになるが、社員は社員である前に一人の人間だ。
会社が事業継続のために何を計画しようと、自分や家族の命がかかれば、会社の命令に従わない可能性も考えておく必要がある。
ところが佐柳恭威氏の議論は、一貫して、社員はつねに会社の命令に従い、会社の事業存続のためによろこんで協力するという、無理のある前提に立って組み立てられている。
危機管理の専門家なら、社員が会社の命令にしたがわないリスクも、当然、考慮に入れるべきだろう。
また、佐柳恭威氏の議論では、パンデミックの際に、国が個人の行動を規制する可能性についても、十分に考慮されていない。
国によって個人の行動が規制されれば、自動的に企業の行動も規制される。
しかし佐柳恭威氏は、あたかも国や自治体に対して、企業が独立して行動できるプレーヤーであるかのような前提で議論を組み立てている。
佐柳恭威氏は、コントロール可能(計算可能)なリスクしか考慮に入れておらず、コントロール不可能(計算不可能)なリスクを考慮に入れていない、とも言える。これは、格付け会社の限界なのだろうか。
計算可能なリスクしか考慮に入れていないことから、佐柳恭威氏の(2)の欠陥が生じる。
誰だって、強毒性ウィルスのパンデミックが起こったら、感染したくない。そのためなら喜んで在宅勤務もするだろう。
しかし、世界中の労働人口が、大人しく在宅勤務をして感染を防げるくらいなら、そもそもパンデミックなど起こらないのではないか?
たとえ佐柳恭威氏の言うとおりに、企業がパンデミック対策の事業継続計画を立てていても、それを発動しなければいけないほどの大騒ぎになっているころには、すでに、事業継続計画など、実行しても仕方ない状況になっている可能性の方が高い。
つまり、いまさら在宅勤務しても、すでに大半の社員やその家族は感染している可能性の方が高い。つまり、すでに在宅勤務どころではなくなっている可能性の方が高い。
パンデミックが「予防」できたり「最小化」できるなら、パンデミックは初めから起こるはずがない。
それでもパンデミックが起こったとすれば、パンデミックがそもそも「予防」したり「最小化」できない、不可抗力だからだ。
そういう理由で、僕は前回、パンデミックのことを地上戦にたとえた。
佐柳恭威氏は、パンデミックが地震などの自然災害とは違うと言いながら、地震のように事前の対策で、ある種類の被害を「予防」できたり、被害全体の規模を「最小化」できたりすると思いこんでいる。
しかし、たとえば日本で地上戦が勃発したとして、あなたやあなたの会社の経営陣が、その地上戦によってあなたの会社がうける影響を、「予防」したり「最小化」できるだろうか?
パンデミックとは否応なしに降りかかってくる、逃げ場のない事象であり、それに対して社会が結果としてどういう反応をするかは、関係者があまりに多すぎるために計算できないのである。
佐柳恭威氏はそのことを全く理解していない。
社会を構成するさまざまなプレーヤーの相互作用を単純化してしまい、パンデミックが社会に引き起こす影響を予測可能な性質のものと思い込んでしまっている。
こういった「机上の空論」におどらされて、セミナーに参加し、一所懸命、パンデミックのための事業継続計画を立案する企業関係者が哀れだ。
※『日経ビジネスオンライン』の佐柳恭威氏の記事はこちら。
「強毒性インフル対策、時間に猶予なし」
「災害対策の経験だけでは不十分」
「新型インフル、フェーズ6に。究極の対策は「日常化」」