失笑せずには見られない『だんだん』と、程よい距離感の『つばさ』

先日の祝日に、いつもの通りNHKの朝の連続ドラマ「つばさ」を見ていたら、そのまま続いて、前の朝の連続ドラマ「だんだん」の総集編を長時間にわたって放送していた。
思わず最後まで見てしまったのだが、やっぱり「つばさ」の方が脚本と演出がはるかに良い。
正直言って「だんだん」のようなベタベタの脚本のドラマを、失笑せずに、本気で感動しながら見られる人の気持ちは理解できない。
父親が娘に本当の姿を見せるために、もう一度ボクシングに挑戦するなんていう展開、笑わずにいられるだろうか?
こんな物語を「ベタ」に感動できる人たちだけのために、朝の連続ドラマを制作していたら、そりゃ視聴率など伸びるわけがない。
それに比べると「つばさ」は「ネタ」をちゃんと「ネタ」として相対化できているので、見ている側もいちいち失笑せずに楽しめる。
まず、少女時代にサッカーに熱中していた主人公の「つばさ」という名前からして、分かる人には分かる「ネタ」だ。
子供を捨てて放浪生活(?)を送っていた母親が10年ぶりに帰ってくるというのは、『男はつらいよ』の裏返しになっている。
高畑淳子の、ハチャメチャなときと、じっくり見せるときとで、メリハリの利いた演技も素晴らしい。
もちろん、ドラマの舞台となっている「甘玉堂」が母系支配である点が、家族の中の、頼りがいのある女性と、頼りない男性という二つの軸のベースになっていることは言うまでもない。
冨浦智嗣演じるつばさの弟まで、いかにも「草食系」である点も、母系支配を「ネタ」とした脚本として、よく考えられている。
三世代同居の大家族や郷土愛は、一見、70年代の家族ドラマを単に踏襲しているように見えるが、母系支配というベースの上に、さまざまな設定が男女さかさまになっている。
娘(多部未華子)が「おかん」で、母親(高畑淳子)がいつまでたっても娘(吉行和子の)である点も、さかさまになっている。
しっとりした場面にあえてサンバが多用される音楽の使い方もいい。
「だんだん」のような「べたべたどっぷり」ドラマではなく、「つばさ」は批評的観点のある脚本になっているので、安心して楽しめる。