日経ITProの根拠薄弱なAsterisk導入のすすめ

秋田県大館市が500端末規模の電話システムにオープンソースのAsteriskという交換機ソフトウェアを利用した事例について、日経ITProというウェブサイトで、フリー・エンジニアの高橋隆雄氏が紹介している。
第36回 反響が大きかった大舘市の事例
高橋隆雄氏は、たった820万円という金額で実現できた点を検証しているが、とても楽観的で甘い分析で、そんなことでAsteriskによるIP電話システム構築が日本に普及するか?と言いたくなる。
たとえば高橋隆雄氏は、820万円という金額を実現できた最大のポイントは「自力での構築」だとしている。
たしかに高橋隆雄氏は「コストという点だけを見て自力運用に踏み切ると失敗する例も少なくない。スキルがついてこなければ自前での運用は困難を極める」と書いている。
しかし、組織にとって「スキルのある人員を確保する」こと自体がコストであることを看過している。
例えば高橋隆雄氏は、通常の電話交換機が、内線電話の増設や設定を業者まかせにせざるを得ず、設定変更作業などの出費を強いられてしまうのに対し、Asteriskの利点を次のように書いている。
「これに対してAsteriskは,自分で設定を変更できるため,即対応が可能であり,余計なコストもかからない。このように書くと設定を変更する人員のコストがかかると噛み付く人も少なくない(中略)
 これについて筆者は,『ほとんどかかっていない』と予測していた。なぜなら簡単なスクリプトを作って設定ファイルを一気に生成してしまうだけだからだ。大館市の中村氏によると,筆者の予想は正解だった」
高橋隆雄氏は、自分自身がオープンソースソフトウェアのテキストベースの設定ファイルを書き換え、一気に生成するといった作業を、朝飯前のかんたんな作業として日常的にやっているからこそ、こんなことが書けてしまう。
しかし、例えば、Excelのマクロができる要員さえおらず、そもそもAsteriskという名前も初耳といった規模の組織が、上述のような設定ファイル書き換え作業ができる要員を確保するために、どれだけのコストを負担しなければならないか。
高橋隆雄氏はその点を完全に看過している。ご自身のスキルを過小評価されている。
要するに大館市は、独学でLinuxベースのオープンソースの設定ファイルを変更できるだけのスキルをもった職員を、たまたま抱えていたので、ラッキーだったというだけの話だ。
仮に大館市の例にならって、大館市レベルの規模の地方自治体がこぞってAsteriskによる内線電話構築を始めたとき、大館市同等のスキルをもった人間を確保するのに、全体としてどれだけのコストがかかるだろうか。
そういうIT人材市場のマクロ的な観点も、高橋隆雄氏はあまり考えていないようだ。
また別の箇所には、自力で構築するとトラブルが発生するのではないかという懸念に対し、こう反論している。
「大館市が構築したIP電話用のネットワークは,それほど複雑なネットワーク構成を取っていない。内線電話専用のLANを敷設したことからも分かるように,既存のLANにオーバレイする形でVLANを切ったわけでもなければ,設定が煩雑な高機能スイッチを導入したわけでもない。つまり障害が発生しても容易に切り分けられ,回復が可能だと考えられる」
この部分の「反論」は、逆に自力で構築するには、かなりのネットワーク構築ノウハウが必要であることを裏付けている。
そもそも大館市のネットワークが「それほど複雑なネットワーク構成を取っていない」のは、複雑な構成にしなくてもよい、という判断ができる要員が、ラッキーにも存在したからではないのか。
技術的な知識のない要員が、独学でネットワーク設計をすれば、セキュリティ上のリスクを気にしすぎて、おそらく不必要に複雑なものになるはずだ。
それをシンプルな構成にできていること自体が、大館市の担当職員が、高いネットワーク構築スキルを持っている何よりの証拠である。
さらに高橋隆雄氏は次のように書いている。
「Asterisk自体のトラブルの発生はどうだろうか。知識を持った職員が少なければ,トラブル対応は困難に思えるかもしれない。だが,これも実はそれほど心配することはない。Asteriskの動作にかかわる設定ファイル類は,本連載をお読みになっていればお分かりのように,/etc/asteriskディレクトリの下に置かれる設定ファイルだけである。これらのバックアップをきちんと取っておけば,原状復帰は容易である」
高橋隆雄氏のAsteriskの連載を読んで、内容を理解できるようなスキルレベルをもったシステム要員なんて、どこにでもいると言わんばかりの内容だ。
これも一般的な組織の常識と大きくかけはなれている。
普通に考えればわかる。
IP電話交換機を自前で構築するには、かなり高度なネットワーク知識と(たとえば電話端末の給電をどう解決するかが分かっているなど)、そこそこのUnix系の運用知識をもった要員が必要で、そういう要員を内部に「新たに」確保するために、組織がどれだけの採用コストと、人件費を負担しなければいけないか。
そのことを高橋隆雄氏は完全に看過している。経営観点で社内システムの運用を見ることができていない。
高橋隆雄氏による”Astersik導入のすすめ”は、Asteriskで内線電話を構築できる、あるいは、構築したくなる規模の組織の経営者にとって、絵空事にしか聞こえないだろう。
ひとことで言えば、大館市は自力でAsteriskを構築できるスキルと、時間的余裕と、やる気のある要員をたまたま抱えていて、ラッキーだった。
それが大館市のAsterisk導入の成功要因であり、それ以外のなにものでもない。