小沢氏秘書逮捕にみる検察権力のおそろしさ

ひきつづき小沢一郎氏の公設第1秘書逮捕の件について。
裁判員制度についてのビデオニュース・ドット・コムのマル激トーク・オン・ディマンドを見て初めて知ったのだが、逮捕された人が、実際に裁判にかけられるかどうかは、検察が決めている。
つまり、裁判で有罪になるかどうか以前に、逮捕した容疑者(まだ有罪かどうかも分からない人)を、そもそも裁判にかけるかどうか、それはすべて検察が決めているのだ。
このことをちゃんと認識している日本国民がどれくらいいるだろうか?
ご承知のように、日本ではいったん逮捕されたら、有罪率が100%に限りなく近い。ただし、正確に言い直すと、日本ではいったん逮捕され、裁判にかけられた場合には、有罪率が100%に限りなく近い。
言い換えると、日本では、逮捕されたら、裁判にかけられるかどうかで、ほぼ有罪か無罪かが決まる。厳密に言うと「有罪」か「有罪か無罪かを問わずに放免」かが決まる。
その選択権を握っているのは、すべて検察なのだ。
さらに今回のように、検察は警察の力を借りず、自ら犯罪捜査を行い、容疑者を逮捕することができる。
これで小沢一郎氏の秘書が東京地方検察庁に逮捕されたことの、ある種の「恣意性」がよく理解できる。
もし東京地検がこのまま秘書を起訴、つまり、裁判にかけるぞ!と決めたら、100%に近い確率で政治資金規正法違反で有罪になるだろう。
くり返しになるが、日本という国で、あやしい人間を有罪にするかどうか、それを入り口のところで振り分けているのは検察庁なのである。
問題は、検察庁は第三者のチェックを受けているのかということだが、日本では事実上チェックを受けていない状態だ。管轄大臣である法務大臣さえ、検察の独立性を守るために、指揮権は制限されている。
しかし、法務大臣がそもそもあからさまに指揮権を発動するようなバカなことはやらないだろう。
検察が過去、警察の力を借りず、直接逮捕にふみ切った事例としては、ウィキペディアによれば、ロッキード事件、リクルート事件、ライブドア事件、村上ファンド事件などがある。
これらの経緯や、過去、検察によって、限りなく恣意的と思われるかたちで起訴され、結果有罪になった事例をよく知っている小沢一郎氏は、だからこそ今朝(2009/03/04)の会見で、日本の民主主義が危機に瀕していると語った。
ほとんどの日本人は、逮捕=有罪だと思い込んでおり、昨夜のニュースで放送されたインタビューでも、民主党支持者が「ショックです」と、もう有罪が決まったようなことを話していた。
有罪かどうか以前に、まだ裁判にかかるかどうか(=起訴されるかどうか)も決まっていないのにである。一般の日本人の認識なんて、この程度のものだ。
検察は、ある意味、日本とい国で最も大きな権力を握っているといってもいい。今回のように、政局にまで影響を及ぼすことができるのだから。
その意味で、日本の民主主義の危機であるという、小沢一郎氏の言葉は、現状認識として正しい。

小沢氏秘書逮捕にみる検察権力のおそろしさ」への0件のフィードバック

  1. 金沢地方検察庁御中

    愛と苦悩の日記: 小沢氏秘書逮捕にみる検察権力のおそろしさ

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  2. 金沢地方検察庁御中

    愛と苦悩の日記: 小沢氏秘書逮捕にみる検察権力のおそろしさ

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  3. Nothing Ventured, Nothing Gained.

    裁判員制度が始まるからこそ、刑事訴訟の原則の徹底を

    昨日に引き続き、小沢民主党代表の第1公設秘書逮捕事件について、一言言いたい。 自