宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』はめちゃ面白い

いま宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を読んでいるが、久しぶりに本格的で面白いサブカルチャー批評だ。「愛と苦悩の日記」の読者の皆さんにもぜひお勧めの一冊。

宮台真司の推薦文つきだが、全体としては、東浩紀のサブカルチャー批評に対する根本的な批判の書となっている。
『新世紀エヴァンゲリオン』のひきこもり系の克服としての『バトルロワイヤル』的決断主義とその蹉跌。その後にテレビドラマ、映画、漫画などのサブカルチャーが、どのように課題を解決しようと模索しているかを、シンプルな分析枠組みで、すっきりと論じている。
連載をまとめた本ということもあるが、テレビドラマや漫画のネタバレあらすじ紹介も豊富、同じ論点が繰り返し提示されており、そういった教育的配慮もゆきとどいた読者に親切な本だ。
ただ、面白いのは面白いのだが、東浩紀の自己慰撫的な批評を批判し、超克することで、本来の批評を復権させるという著者の宇野氏の意図自体が、きわめて教養主義的で、本書の存在そのものを自己言及的にメタレベルから見たとき、実は『新世紀エヴァンゲリオン』が葬り去ったはずの『機動戦士ガンダム』的教養小節を召還していることになっている。
また、東浩紀批判はいってみれば宇野氏による「父殺し」の試みであり、著者が必死になって東浩紀のサブカル批評を批判しようとすればするほど、実は宇野氏にとって東浩紀が「大きな物語」として機能している。
つまり本来的な批評を取りもどすという宇野氏の意図そのものが、批評というものをヘーゲル的な歴史観に回収する観点に立っている。
デリダ研究者である東浩紀はそれを分かった上で、サブカル批評には自己慰撫的な批評しか残されていないと決断したのではないか。僕はそう考えており、東浩紀の批評が単に堕落しているのだと切り捨てることには強い違和感がある。
それを差し引いても、この『ゼロ年代の想像力』は2001年以降のサブカルを本格的に論じた初めての批評であり、非常に面白い。