大久保松恵さんが亡くなったことについて(5)

大久保松恵さんの死因は肺炎だったそうだ。
フォローの記事をいくつか読んだところ、36歳の年齢で肺炎で死に至ることは普通ありえないので、不規則な生活や、偏った食事、ストレスなどで、極端な栄養不足になり、肺炎を悪化させたのだろうとのこと。
確かに一般的な意味での自殺ではないが、彼女が本当に新しい生活に希望を見出していたなら、タレントとしてあそこまで頭のよく回り、細かいことにまで注意の行き届く人が、十分治療できたはずの肺炎のような病気を、死に至るまで放置するだろうか。
僕にはやはり、大久保松恵さんは一種の「緩慢な自死」を選んだのではないかと思えてならない。
「死にたい」と思ったのではないにしても、「このまま死んでもいいかな」と思ったのではないか。
36歳という年齢は、もう人生を一からやり直せないという意味で、ある人たちにとって「もう死んでもいいかな」と、結論を出すことが可能な年齢だと僕は考える。
大久保松恵さんも、不幸にしてと言うべきか、幸運にもと言うべきか、「もう死んでもいいかな」と思ったときに、本人は肺炎と知らないまま、急激に体調が悪くなるという、一つの「チャンス」にめぐり会ってしまったのではないか。
本当に生き延びたかったなら、救急車を呼ぶくらいのことは簡単にできたはずだ。(大して生き延びたくなかった僕でさえ、死の恐怖から逃れたいためだけに救急車を呼んだくらいなのだから)
そこで救急車さえ呼ばなかったのは、彼女自身の選択があったと考えるべきだと思う。
そして大久保松恵さんに限らず、ある人間が死を選択する意思は、つねに尊重されるべきだと、僕は考える。もちろんこういう考えが、非倫理的であることを承知でだ。
むしろ大久保松恵さんの死について、彼女自身が「死んでもいいや」と思ったかもしれない可能性を、ひたすら否定することが、無条件に正しいという考えの方が、彼女の人生を単純化しすぎていると思う。