大久保松恵さんが亡くなったことについて(3)

今朝の『サンデージャポン』を見ていて、爆笑問題の太田の言葉に納得させられた。
飯島愛さん(大久保松恵さん)は、芸能界で他のタレントに妥協を許さない分、自分自身にも一切の妥協を許さない結果、自分で自分を芸能界からはじき出さざるを得なかったのではないか、ということだ。
もっといい加減に生きてもよかったのではないか、というテリー伊藤の言葉もその通りだと感じた。
自分の存在そのものに罪の意識を抱かずに生きている能天気な人間はどうでもいいとして、大久保松恵さんのように、自分の過去も含めて、自分が生きていること自体に罪の意識を持ってしまう自罰的な人間を、どうにかして「赦す」ことはできなかったのだろうか。
大久保松恵さんは2008年1月、精神的に不安定になっていた頃、渋谷警察署に駆け込んでいたというが、そういうエピソードを聞いても、彼女は他人に依存すること、他人に「赦し」を得ることさえ、潔しとしないところまで自分を追い詰めてしまっていたのではないかと推測される。
本来、こういう場面では宗教が機能を果たす。人間にかわって超越的な存在が「赦し」を与えるというフィクションを提供し、自罰的な人間にとっての緩衝材になるはずなのだ。
病理解剖しないと死因が分からないというのは、おそらく神経症関係の薬が原因で、消化器にも残っていなかったためだろう。
大久保松恵さんは自殺でこの世から逃げることさえ、卑怯だと考えていたはずだし、大量に服用していれば胃があったあたりに残っているはずなので、薬の誤った服用など、何らかの事故で亡くなった可能性が高いと思う。
彼女のような人間に対して、今の社会はどのように「赦し」を与えることができるのか。
「赦し」を与える機能を失った社会は、結局、ある種の人たちを死へと追い詰める結果になる。
それが自殺であれ、経済的な困窮死であれ、事故死であれ、本当なら行き続けたい人間が、行き続ける余地を全く失ってしまうほど、今の社会には「のりしろ」がなくなってしまっている、ということだろう。

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    キャリア12年目に突入した精神科医・猫山司のブログです。臨床屋の立場で患者さんの役に立つ情報をお伝えするとともに,私生活の悲喜こもごもを綴っていきたいと思います。