高橋源一郎『ニッポンの小説―百年の孤独』

久しぶりに高橋源一郎センセイの本を読んだ。『ニッポンの小説 百年の孤独』だ。
久しく小説を読んでいない僕は、高橋源一郎センセイの文芸批評を批評する立場にないので、平板な感想だけを述べることにする。

小説とは、客体化・対象化不可能な存在と、それを客体化することなく何らかの関係を打ちたてようとする試みであり、この試みは本質的にどこまでいっても終りがなく、試みのままとどまるような試みである。
このように要約してしまうと、小説を定義可能なものとして客体化・対象化したことになってしまうが、それは小説を成立させている散文一般の避けられない運命のようなものだと、高橋源一郎センセイは考えているらしい。
本書は僕にまったく馴染みのない現代詩をたくさん引用しているので、前半は正直、とっつきにくかった。
しかし、中盤で、内田樹のレヴィナス論に依拠しながら、小説や散文とは何かを高橋源一郎センセイが考え始める段になると、ようやく僕にも手がかりがつかめてきた。
そして何より本書は、高橋源一郎センセイの小説や散文、現代詩に対する愛があふれている。そして自ら小説家としての使命感・倫理観にもあふれている。
サラリーマンの仕事は、結局のところ全てを対象化する「私」を前提とする、ごく日常的な営みなので、高橋源一郎センセイにとっての小説のように、一生をかけて問い続けるような問題には決してなりえない。
そんなサラリーマンの仕事に、人生の大半を浪費している自分が、やっぱりイヤになってくる。本書の読後感としてそんなことを感じるのは間違っているのかもしれないが、どうしてもそう感じずにはいられないのだから仕方ない。
そんな筆者個人の事情はともかく、大学で文学を専攻している学生の皆さんにとっては、必読書と言える。