素朴な啓蒙主義者の喜劇的生き方

素朴な啓蒙主義者はかなり始末が悪い。自分だけは分かっている。周りは分かっていない。だから周りを教育してやらなければいけない。そう思い込んでいる。
結果、同調圧力の強い日本のサラリーマン社会では反発を招く。すると、正論を言うと受け入れられないと悲劇のヒーローを気どり、ますます素朴な啓蒙主義者としての立場にのめりこむ。
そのくせ、足元にあるやるべき小さな仕事はバカにしてやらない。ますます周囲の反発を招く。そして、そういった状況の全体を理解していない。自分は分かっている。悪いのは分かっていない他人だと思い続ける。
今、僕の身近にはこういう素朴な啓蒙主義者が一人いる。正直言ってはたから見ていると喜劇にしか見えない。
僕は幸い東京大学で、自分よりはるかに優秀な人間にたくさん出会って、「こいつらにはどうあがいてもかなわない」と思い知らされたので、自分だけが分かっていると思い込むほどバカではない。
その代わり、何も分からない、分かりっこないという相対主義に絶望するハメになる。
素朴な啓蒙主義で悲劇のヒーローぶるインテリ北米人的な生き方ができれば、確かに今よりは幸福かもしれない。
しかし、いったん素朴な啓蒙主義の向こう側へ、一線を踏み越えてしまった僕が、素朴な啓蒙主義にもどることは、脳が物理的なダメージでも受けない限り不可能なのだ。
一線を踏み越えたのは、望ましいことだったのか、望ましくないことだったのか。