テイラー氏の提訴は川田亜子さんの死に対する冒涜

元TBSアナウンサーの川田亜子さんが2008/05/26に自殺してから3か月になるが、J-CASTニュースの2008/09/16付け記事によると、彼女の元恋人とされる平和活動家マット・テイラー氏が、川田亜子さんの所属していた芸能事務所の幹部を提訴したらしい。
ネットを検索するとマット・テイラー氏の平和活動は宗教色が強いもののようで、川田亜子さんがテイラー氏のドキュメンタリー映画を通じてその思想に共鳴したのは事実らしい。
川田亜子さんがマット・テイラー氏に心酔するのは個人の自由として、他人に非難されるべきことではない。
にもかかわらず、川田さんの所属する芸能事務所が、いかにも日本企業らしく(あるいは日本人らしく)、特定の思想性に川田さんが傾倒するのを、芸能人としての仕事への影響を恐れて、やめるように本人に直接指導していたのは十分に考えられることだ。
とは言え、仮にそのような事実があったとしても、芸能事務所の幹部が彼女を自殺に追い込んだと認定し、提訴したマット・テイラー氏の行動は、日本社会の文脈では明らかに行き過ぎだ。
おそらくここにはテイラー氏の「計算」があるのだろう。勝訴すれば自分の平和活動の正当性を証明できるが、敗訴しても失うものは何もない。氏の資金力にとって訴訟費用が微々たるものなら、自身の活動にとっては提訴しないほうが損だ。
ただ、川田亜子さんがマット・テイラー氏に心酔したのは、その頃すでに彼女が将来についての不安などから、神経症にかかっていたにもかかわらず、芸能事務所を含め、彼女の周囲の人々が、心療内科や神経科にかからせるなど、適切な処置をとらなかったからではないか。
その結果、川田亜子さんは宗教的な平和活動にすがった。それによって川田亜子さんは一定の精神的な安定を得たかもしれないが、テイラー氏の活動は、宗教的であるがゆえの排他性を持つので、神経症患者の「治療」としては明らかに不適切だった。
その排他性は、今回テイラー氏が川田さんの所属事務所を「悪者」扱いしている点に端的に現れている。
宗教的な排他性とは、正義と悪の二元論にもとづき、自身の観点から悪と見なしたものを排除する考え方だ。
米国のプロテスタンティズムが、本来のキリスト教の教義から離れて、善悪二元論に傾斜しているのは有名な話だ。ブッシュ政権が容易に「悪の枢軸」という言葉を使うのも、その背景にはネオリベ派のマニ教的な善悪二元論がある。
おそらくテイラー氏の宗教的なバックグラウンドにも、この二元論があったのだろう。テイラー氏に悪意はなかったとしても、客観的に見れば、川田亜子さんは二元論的な宗教に依存するより、適切な医学的治療を先ず受けるべきだった。
テイラー氏が川田亜子さんの所属事務所と係争したところで、川田亜子さんの自殺の「真の原因」が明らかになるわけでもないし、もちろん川田亜子さんが戻ってくるわけでもない。せいぜい、テイラー氏が自分の「善」を証明できるかもしれない、というだけのことだ。
誰が「悪」かをはっきりさせるために川田亜子さんの事務所幹部を提訴したテイラー氏の行動は、いかにも単純素朴な米国人らしく、川田亜子さんの死の原因を著しく単純化してしまうという点で、死者に対する冒涜でさえある。
本当に川田亜子さんのことを思うなら、テイラー氏はなぜ、川田亜子さんを静かに眠らせてあげることができないのだろうか?