意思疎通の失敗を常に相手のせいにする困った人

残念ながら会社の中での人と人とのコミュニケーションというのは、伝える側が何の意図にかかわらず、受けた側がどう受け取ったかで成功か失敗かが決まってしまう。
皆さんも会社で、「いくら話しても上司が(部下が)分かってくれない」と愚痴をこぼしてばかりの人をよく見かけるだろうが、そういう人たちは、コミュニケーションの失敗を他人のせいにするのは、論理矛盾であることに気づいていない。
コミュニケーションの失敗の理由が常に相手の側にあるなら、コミュニケーションの成功の理由も常に相手の側にあるはずだ。
コミュニケーションの成功の理由が「常に」相手の側にあるということは、コミュニケーションがたまたま成功した相手については、コミュニケーションが始まる前から、相手が伝える側の意図を「必ず」正しく理解できると言っているのと同じことになる。
ところで、このように、コミュニケーションが始まる以前に、既に自分の意図を正しく理解してくれる相手が、仮にこの世に存在するとすれば、そういう相手とは、そもそもコミュニケーションの必要がなくなる。
このように、コミュニケーションの失敗を常に相手のせいにする人は、「コミュニケーションが成功する相手とはコミュニケーションが不要になる」という矛盾した考えを持っていることに自分で気づいていないのだ。
共通の理解があればコミュニケーションは不要である。誤解の可能性があるからこそ、コミュニケーションは必要とされ、コミュニケーションという事態が発生するのである。
コミュニケーションが一定の失敗の蓋然性を持つのは当然であり、失敗の理由は常に自分にあるわけでも、常に相手にあるわけでもない。失敗をコミュニケーションの両端に存在するどちらかの人に帰属させること自体に矛盾がある。
また、「共通の価値観を共有していなければ、コミュニケーションが成り立たない」という考え方も、矛盾した考え方である。
共通の価値観を共有できるという期待は、相手が自分の伝えたいことを「常に」理解してくれるという期待を言い換えたに過ぎない。
しかしこういう期待が、本当に客観的に妥当なものであれば、そもそもコミュニケーションするまでもなく、相手は自分の意図を理解していることになり、やはりコミュニケーション自体が不要になる。
コミュニケーションの失敗を常に他人のせいにする人は、以心伝心というありえない状況の実在を信じている神秘主義者か、実はコミュニケーションの必要性を否定している人間嫌いか、そのどちらかと考えて間違いない。