お金で達成感は買えるか?

下記の記事の続きになるが、最近、社会科学系の専門書を読む気にならなくなった。日本社会をより良いものにするために、どんな政策が必要か、などということを真剣に考えるのが虚しくなってきたからだ。
要するに、上場企業の40歳近い雇われ労働者が、いくら社会科学的に正しい現状認識や分析力を身につけたところで、自分個人の生活を破壊することなく、それを実行に移す機会はもう望むべくもないからだ。
結果として、宮台真司などの言説を消費して、ひとり溜飲を下げ、この「愛と苦悩の日記」のような薄っぺらな内容のブログに、個人的な不満をないまぜに宮台真司擁護論を展開する。せいぜいその程度のことしかできない。
40歳前後というのは、そんな風に、もう自分自身の可能性の限界が見える年齢だ。中国語だって今からネイティブの水準になれるわけがない。ネイティブの水準に達するだけの時間的余裕がない。
何かをやったという達成感を得るためには、40歳近くになると残念ながら時間をお金で買うしかなくなる。
本来なら20代の頃のように、じっくり時間をかけて、語学をマスターするとか、大部の書物を一冊読み上げるとか、そういった達成感を得たい。
しかしこの年齢になると、毎日の仕事の精神的な疲労で、帰宅後それだけの集中力が続かない。そうすると、何かを消費してまとまった財を所有することで、本来的な達成感をごまかすしかなくなる。
悲しい事ではあるが、これが現実である。