『瞳』『ホームレス中学生』失われた共同体への不可能な郷愁

最近大阪出張が多く、ホテルを8時半に出ても間に合うので、ニュースの後そのままNHK朝の連続ドラマ『瞳』を見ることが多い。そして昨日はあまりの暇さに、つい『ホームレス中学生』のドラマ版を見てしまった。
どちらも物語や演出に特筆すべき点はないが、『ALWAYS 三丁目の夕日』と同じく、失われたコミュニティーを描いている点が共通している。小泉政権時代のネオリベ的規制緩和政策によって、日本から完全に失われた共同体である。
『瞳』は典型的な東京下町の地域共同体が今も生き残っているという想定。『ホームレス中学生』は両親を癌で亡くしても、兄弟三人だけの家族そのものが小さな共同体たりうること、そしてもう一つ、学校のクラスも共同体として、経済的貧困にあえぐ三兄弟を支え得ることを描いている。
『ホームレス中学生』原作者、漫才コンビ麒麟の田村は1979年大阪府吹田市出身らしい。1990年代の大阪郊外には、辛うじて身寄りのない三兄弟を支える共同体が存在したということなのだろう。
2008年の今、同じように両親のいない兄弟が生き延びることができるか。その答えは是枝裕和監督の『誰も知らない Nobody Knows』(2004年)に示唆されている。
こちらは1988年に発覚した東京・巣鴨の子供置き去り事件を題材としたようだが、この頃の巣鴨にはもはや子供たちを支える共同体は存在しなかったということか。
いずれにせよ『瞳』も『ホームレス中学生』も、今となっては取り戻せない共同体への不可能な郷愁でしかない。落伍者を救う共同体を、昔そのままの形で復活させることなどできない。何かまったく別のかたちでしか再構築できないだろう。