秋葉原事件で宮台真司の絶望の深さ

インターネット放送の「ビデオニュース・ドットコム」で、秋葉原の通り魔殺人事件についての宮台真司、東浩紀、神保哲生の鼎談を見た。(正確に言うとGetASFStreamとうフリーウェアでwma形式でダウンロードして携帯音楽プレーヤーで電車の中で聴いた)
いつもながら宮台真司の論旨は明快だ。
「大きな政府」は原理的に永久に維持できないのは明らかなので、「小さな政府」を実現するネオリベ(新自由主義)思想が台頭し、世界各国が経済のグローバル化に巻き込まれ、「勝ち組」「負け組」がはっきり分かれるのは必然的な結果。
しかし他の先進諸国と異なり、日本は決定的な過ちを犯した。
一つは日本社会において、「負け組」に対するセーフティーネットとして唯一機能していた、地域共同体社会まで破壊してしまったこと。
欧州では労働組合を中心とするサンディカリズムの伝統が、米国ではNPOやキリスト教を基盤とする地域共同体が残存している。そのため、欧州では学生を巻き込んだ労働者の大規模なストライキが、「負け組」の異議申し立ての機会として機能し、米国ではNPOの形態をとった相互扶助組織があり、結果として「負け組」を社会の一部分として抱き込むことに成功している。
ただし欧州のサンディカリズムは移民を排除しており、米国のNPOやキリスト教を基盤とする地域共同体も同様の排除の構造を持つ点で、決して万能ではない。
もう一つの日本の失敗は、いまだに都会の大組織に勤めることが成功であり、地域に埋もれる生活を失敗とする教育を続けていること。
秋葉原の事件の容疑者を例にとれば、地方の中学を優秀な成績で卒業しながら、高校に進学したとたんに落ちこぼれになること自体、かなりありふれたことだ。
ところが、これを取り返しのつかない決定的な挫折と認識させてしまい、なおかつ、日雇い派遣しか生活するすべがない境遇に落ち込ませてしまう。
当然、それによって殺人が正当化されるわけでは決してない。しかしこの事件に「インターネットに依存した若者の心の闇」といった切り口しか見ないのでは、日本社会はまた根本的な問題解決の機会を逃してしまうことになる。
ただ、鼎談の中で宮台真司は、だからといって日本の地域社会を復活させればいいといった単純な解決法も存在しないことを認めている。また、大組織に就職することが唯一の幸福だという価値観を変えることの難しさも認めている。
日本の地域社会は、復活することが不可能なほど完全に破壊されている。そして大組織に就職することが唯一の幸福という価値観を変えるには、結局のところ、地域に埋もれてまったりと生活することもまた一つの選択肢であることを、教育の場で根気強く説いていくしかない。
宮台真司の絶望の深さに、少々驚かされた鼎談だった。