脱・「答えがほしい」症候群

秋葉原の通り魔事件で、例によって各種媒体が犯人の動機を分析している。当然、動機分析の目的は、犯人の犯した罪を正当化することではなく、二度と同じような犯罪が起こらないようにすることだ。
再発を防止するいちばんの近道は、犯罪を実行する手段を取り上げることなので、殺傷力の高いサバイバル・ナイフなどに限定した販売規制などは一つの策だろう。ただし銃刀法の単純な運用強化は慎重に考えるべきだ。
そして再発を防止するための、遠回りだが根本的な方法は、潜在的な犯罪者が同じような動機を抱きにくくなる社会環境づくりということになる。
今回の犯人は典型的な、自己肯定を強く求めるタイプで、自殺志願者も多くは「自分のことを認めてほしい」と強く願っているのに、その承認を誰からも得られないことが動機になっている。
自己啓発ブーム、スピリチュアル・ブームも、同じように自分の行動や価値観を誰かに肯定して欲しいと強く願う、そういった心性が社会に広くはびこっていることを背景としている。
ところが、この自己肯定を強く求める風潮は、マッチポンプ的なところがある。自己肯定を強く求めるあまり、それを容易に得られなくなっている。
そして、容易に自己肯定を得られなくなって落ち込んでいる人たちに対して、J-POPの歌詞を含む各種のメディアは、あなたはあなたらしくいればいいんだという自己肯定を、繰り返し、必死で与えようとする。
そうすると、まるで自己肯定、自己承認を得ることが、現代人にとって不可欠であるかのような先入観が、社会全体に刷り込まれていき、さらに自己肯定、自己承認を求める人々が増える。
このように、社会全体が自己肯定のゲームを増幅しつづける構造になっている。
しかし、そもそも自分の行動や価値観を、いちいち誰かに肯定してもらう必要などあるだろうか?自分の行動や価値観が正しいかどうかを、そんなに簡単に誰かに決めてもらう必要があるだろうか。
今の自分の行動や価値観に対して、誰かに良いか悪いかの答えを出してもらう必要など、そもそもあるだろうか?
そもそも誰かの行動や価値観に対して、容易に答えを出せる人間などいるはずがない。そういう人間がどこかにいるということ自体が、根拠のない思い込みにすぎない。
今の自分の行動や価値観が良いか悪いかは、今答えが出る問題ではない。答えは常に、後から振り返ってみて初めて出るものだ。
J-POPの歌詞も含めて、あまりにも安易に誰かが与えてくれる「答え」のようなもの、ニセの解答に飛びつくことは、逆に絶望の始まりでしかない。
大切なのは、良いか悪いかをいちいち判断することではなく、いろいろな選択肢を考えてみることではないのか。大切なのは、その場その場でいちいち答えを出したり、答えを求めたりすることではなく、他にどんな選択肢があるかを考えることではないのか。