死刑願望による犯罪と「自殺の制度化」

またまた自殺の話で申し訳ない。今日2008/05/28 18:12配信の毎日新聞の記事に「<死刑になりたい>なぜ? 凶悪事件、犯行動機で供述相次ぐ」というのを見つけた。
今年になってから、死刑願望を動機として供述した事件がすでに3件起こっているという。
大阪教育大付属池田小の乱入殺傷事件で8人を刺殺した宅間守元死刑囚も、犯行前2~3か月の間に2度、自殺未遂をし、死刑判決確定から1年弱で望みどおり死刑に処せられたらしい。
死刑願望から凶悪犯罪を起こす人間は、たしかに極端な事例だが、強い自殺願望をもつ人間を「無理やり」生き延びさせた場合に、社会が払わなければならないコストの一例でもある。
仮に自殺が制度化されていて、苦痛のない「安楽死」的な方法で自殺をさせてくれるような施設があったとすれば、宅間守は無事に自殺に成功し、池田小の8人の児童の命は救われたのだ。
したがって、自殺志願者に対して「生きなさい」と言うことが、無条件に倫理的・道徳的に正しいかどうかは、実は微妙なのである。自殺志願者も社会の構成員である以上、自殺願望を持つことで、陰に陽に周囲に何らかの影響を与えることは避けられない。
その極端な例が、死刑願望による凶悪犯罪だったり、硫化水素自殺で無関係な人間を巻き添えにすることだったり、飛び込み自殺で電車の遅延を引き起こして数万人の通勤・通学客に迷惑をかけることだったりする。
こうした社会的コストを考えたとき、自殺志願者を「安らかに」自殺させる手段を提供することも、これからの社会にとって一つの選択肢になるのではないか。
もちろん自殺の手段が悪用され、自殺志願者でない人が、無理やり自殺に追い込まれるようなことがないよう、運用には細心の注意を払う必要がある。制度設計は非常に難しいだろう。
しかし、高齢化が急激に進み、今までのように未来に単純な希望を抱けない社会において、「自殺の制度化」は避けられない課題になるに違いないと僕は考える。