映画『オズの魔法使』を観て「常に既に」

たまたまザッピングしていたらNHK BSで『オズの魔法使(The Wizard of OZ)』を放送していたので最後まで観てしまった。この映画を見るのは10年以上ぶりで2回目だが、こんな映画だっただろうか?

Technicolor作品で、Dorothyがオズの国にいる間カラーになるというのは有名な話で書くまでもないが、記憶の中では鬱蒼とした森の中をDorothy一行が延々と旅するroad movieだった。実際にはエメラルドの国や悪い魔女の城の場面が大半だ。
それに、脳みそのないカカシ、心の無いブリキの木こり、臆病なライオンが最後に脳みそや心や勇気を手に入れる場面の脚本は、もっと気の利いた台詞だと勝手に美化していた。実際には、偉大なるオズの魔法使自体が機械仕掛けで、人はもともと理性と感情と勇気を持っているというオチだった。
ただし、気づいたことがいくつかあった。というより、前回観て既に気づいていたことを忘れているだけかもしれないが。
冒頭のカンザスから最後まですべてセット撮影であること。相当金がかかっている。昔の興行界では普通だったのだろうが、大勢の小人症の歌手が登場すること。
ブリキの男が登場して錆びついた体に油を挿してもらった後、地面に足の裏をつけたまま左右にゆらり、ゆらりと倒れそうになりながら倒れないというアクション。マイケル・ジャクソンの振付けのオリジナルがここにあったということ。
それでも冒頭、Dorothyが『Over the Rainbow』を歌い始めた途端に涙が流れ始めたのはなぜだろうか。嫌なことのない世界にあこがれ、空を仰ぎながら歌うJudy Garlandの歌に。
でも結局Dorothyは「やっぱりお家がいいわ」と、家に戻ってくる。苦悩にあふれたこの世界に戻ってきたことが本当に良かったのか。『オズの魔法使』は本当に観客に夢を与えてくれる映画なのか。
日本語版ウィキペディアで初めて知ったが、この映画で一躍人気女優になったJudy Garlandは典型的な破滅型の人生を送ったらしく、薬物依存症、セックス依存症、バイセクシャル。47歳で睡眠薬の大量服用で死んだという。
夢のような作品は破滅的な現実に支えられている。美は常に既に汚染されている。そうでない美は存在しないということか。