映画の上映「自粛」に見る日本人サラリーマンの愚

日本もずいぶんひどい国になってしまったものだ。『靖国』という映画の上映を東京の映画館が次々「自粛」して中止しているそうだ。この映画の内容を議論することに、僕はまったく興味はない。
ただ「自粛」という形で、民主主義の基盤である言論の自由を軽々しく捨ててしまうほど、民度の低い日本人が増えてしまっていることに危機感を抱く。
プリンスホテルが裁判所の命令に従わなかった件でも、意外なほど多くの人々がホテル側に同情的だった。これでは迷惑行為で反対意見を封じ込めようとする政治団体の思う壺だ。
そうやって言論の自由の基礎を自らむしばむことで、自分で自分の首を絞めていることにさえ気づけない。そこまで愚かな大衆が増えているということだ。
衆愚は民主主義の副産物でもあり、だからこそ民主主義ドイツからナチス独裁が誕生したわけだが、歴史はくり返すということなのだろうか。
ただナチスが誕生した時代と背景が違っているのは、安易な「自粛」の背後に、誤解されたCSRがある点だ。
最近の民間企業はことあるごとに社会的責任(CSR)を安易に持ち出して、自分たちの行為を正当化する口実につかう。
今回の上映の「自粛」も、「上映すると特定の政治団体が映画館の周辺に押し寄せて近所に迷惑をかける。地域に対する社会的責任を果たすためには自粛せざるをえない」というわけだ。
プリンスホテルもCSRを口実に自分の行為を正当化できる。やはり個人情報保護法に対する病院などの過剰反応と同じく、いかにも日本人的な「事なかれ主義」が、CSRというグローバルスタンダードから、かっこうの口実を得ている構造になっている。
要するに、日本人は民度が低いので、CSRや個人情報保護法の本来の意味をまったく理解できていないのだ。
そもそもCSRや個人情報保護法は、憲法に定められた個人の基本的な権利を守るためのものである。
それなのに、日本の企業はそのCSRや個人情報保護法を、憲法に定められた個人の基本的な権利を侵害するための口実として利用してしまっている。
ひどいと言うのもバカらしいほど、ひどい状況だ。日本人サラリーマンは一人ひとりは腰抜けのクセに、企業という束になると、平気で個人の基本的人権を無視するようなことをしでかす。
会社帰りのサラリーマンが電車の中でふんぞりかえっているのも、組織の中で自分が持っている権限を、まるで一市民としての自分に与えられているかのように錯覚しているからだ。
仕事はあくまで市民として生活するための手段にすぎないのに、組織人としての自分こそ自分自身であるという、愚かしい思い込みをしているサラリーマンが多すぎるということだ。
今回、上映を「自粛」した映画館の関係者も、自分が所属する組織の理論でしか判断できず、自分が一市民であることを完全に忘れてしまっているようだ。
ひどい。あまりにひどすぎる。