公的な意識がないのは日本人も同じ?

中国人は今でも街中など公共の場でのマナーが悪いというが、公的なものと私的なものをはっきり区別しないのは、日本人も同じことだ。
違うのは、中国人の私的なものが家族や一族、民族などの複数形なのに対して、日本人の私的なものが個人、せいぜい核家族の単位であることだろう。
だから中国人は電車やバスで、整列乗車をしなくても、老人に何のわだかまりもなく席をゆずり、日本人は老人を無視して座席に座り続ける。家族や一族の中で老人を敬うのは中国人にとって自然だし、老人と接したことの少ない日本人の若者が老人を無視するのも自然だ。
中国の公衆トイレに、まだ個室の仕切りのないところが多いのも、公的な領域にまでお互い家族のように分け隔てない意識が広がっているからだろう。
僕自身、仕切りのない公衆トイレで用を足したいとは思わないし、たぶん整列乗車しない中国のラッシュアワーは耐え難いだろう。しかし、中国と日本、どちらが進んでいるかという問題ではなく、単に違いがあるだけだという気がする。
今日の日本経済新聞に、中国の地方官僚の腐敗ぶりが書かれていたが、官僚が腐敗しているのは日本も変わらない。そもそも中国の官僚にも日本の官僚にも「公僕」の意識がないのだろう。
公的なものと私的なものの区別がはっきりしていないのだから、自分の扱っているお金が「公的な」税金や年金だという意識もないし、道路が「公的な」ものだという意識もない。だから税金や年金を使い込んで平気だし、道路を私的な利益のために誘致するのも平気。中国と日本はよく似ている。
サラリーマン生活を送っていても、よく思い知らされることだが、日本が中国よりも「発展」しているとか、より「進歩」しているとか、より「合理的」だとか、より「近代化」されているとか、そんなことを考えている日本人がいたとしたら、単なる思い過ごしだろう。