alan中国語ブログ試訳:2007/11/19(続き)

alanさんの中国語ブログの家族紹介の回の続きを日本語に訳して中国語の勉強をする。原文はこのサイトのリンク集「alanさん中国語ブログ」からどうぞ。
2007/11/19 01:13:22(続き)
ある年、まだ初級中学に通っていたころ実家に帰ったときのことを覚えていて、バスケットボール場で故郷の人たちに「貸切音楽会」を開いて、二胡を弾いたり、歌を歌ったり、踊ったり、4、5個の演目を上演して、見終わるとみんながもう一つもう一つと言いました。祝日を祝うために分厚い蔵族の正装をしていました。理屈から言うと踊ることができません。とても疲れていたので、実際弾くことも、歌うこともできず、まして踊るのは無理でした。。でも私のおばあさんやお年寄りの皆さんはとても優しかったです。穏やかに座って、手の中に数珠と金の桶を持って私のためにお祈りしてくれました。”もう一つ、もう一つ、なかなか田舎に帰ってこれないんだからもう一つやって”そう言われるたびに皆さんの視線や表情を見ることもできなくなりました。それで続けて歌い、踊り~~~、貸切音楽会は実際力がなくなるまで続きました。。。でも心の中ではうれしくて、幸せでした~~
私は今まで田舎で生活したことがありませんが、あの土地に対する私の思いはとっても深くとても親しみを持っています。わたしたちの田舎は祝日になるたびにとても楽しく、たくさんの風習や行事があります。例えば転神山の日、転廟会の日、競馬の日、射的の日、歌と踊りのコンテストの日、鍋庄(※訳者注:蔵族の民族舞踊の一つ)を踊る日。。久しく旧正月に帰っていなくて、去年は日本で過ごし、一昨年は北京で過ごし、今年はどこで過ごすか分かりません。。お父さんもお母さんもいませんが、お父さんはいつも時間を作って田舎に帰ります。どうでしょう。。お年寄りの皆さんはお線香を立てて、お経を唱えて、お墓の雑草を抜いて。。。
以上が私の田舎と私のお父さんです。一人の普通の、善良な、単純な人です。。。。私が見たところによればお父さんは強い一面もあれば、優しい面もあります(弱い一面もありますが私たちに見せないだけでしょう)。お父さんは私の心の中の大樹のようなものです。私の偶像です。お父さんの身の上に起こったいろいろな出来事は、子供時代のことも含めて私にはまるでお父さんが千夜一夜物語の中にいるような感じがして、ああいう生活は私からはずっとずっと遠い昔のように思えます。。ときどきお父さんがもし引き続き北京で仕事を続けていたらひょっとして。。。と思うことがあります。でも今を見ればどんな事があったにせよお父さんのしたことには道理があり、すべて正しかったと思います。。もし当時お父さんとお母さんがあんなに苦労しなかったら、もし二人が力を奮って向上しなかったら。私~~~まだ高原の上で真っ黒な顔をして、勉強もあまりせずに、好奇心いっぱいの目をして、驚いたような目をして~~指をくわえたまま、うれしそうに泥遊びをしていたかもしれません。もしかするともうお嫁に行ってたかも~~~~ふふふふ~~~~!だからさらに大きな困難を目の前にしても私は恐くありません、尻込みしたくなったときはいつもお父さんの姿が私の頭の中に現れて~~やるしかなくなります~~~お父さんは私のお手本です。私はお父さんの遺伝子を受け継いでとても幸せです(汗たらり)。私も康巴民族の子孫の一人ですから~~~
上に貼ったのはお父さんが大学生のときのカラー写真の一つです(※訳者注:実際の写真は原文を参照されたい。天安門広場での集合写真だ)。写真のタイトルは”それぞれの民族の人民の大団結”で私たちはこの写真の歴史的背景や当時の意味合いや重要性をあまり理解できません、でも私たちの一つ上の世代の人や上の上の世代の人に聞けば10人のうち9人半はみんな知っているでしょう。これは当時全国的に人気のあったカラー写真で、人民大会堂、北京飯店、民族飯店などなど~~みんなこの写真を大きく伸ばしてあり、お父さんも当時20歳ちょっとでした。だから私たちの家のsuper starは私ではなく、私のお父さんなんです。
PS:今日写真を貼るのに成功しませんでした、明日にします。みなさんどれが私のお父さんか当ててみてください~~~ふふ。