alan中国語ブログ試訳:2007/11/19

今日もalanさんの中国語ブログを日本語訳して中国語の勉強をする。今回は2007/11/19分のalanさんが自分の家族を紹介している記事を翻訳しようと思うが、とても長いので二回に分ける。
alanさんの歌唱力は母親譲り、実直な性格は父親譲りだということがわかる。母親が民謡歌手でそれを受け継いだ歌唱力というのは、韓国の元S.E.SのメンバーだったBADAも同じだ。
まずは前半から。
2007/11/19 01:13:22
私の家族は4人いて、お父さん、お母さん、お兄さんと私です(※訳者注:たしか北京の大学のキャンパスで行われた歌のコンクールの記事では阿蘭さんが「弟」と一緒に出場したことになっていたが、記者の間違いということだろう)。お父さんは一家の主です、(実際生活の中ではお母さんこそ一家の主だと思うときがたくさんありますが)。お父さんは国家公務員、お母さんは以前蔵族の民謡歌手でした(今は専業主婦兼私のプライベートの助手です)、歌がすごくうまいんです。(その後音楽学院に行って類似美声唱法を学び、それからお父さんはお母さんの歌を聞くのがあまり好きではなくなりました)(※訳者注:「类似美声的唱法」というのは音楽の専門用語のようだが日本語がわからない。百度で検索すると王菲が「脸」という曲で駆使しているのがそれらしい)、お兄さんは人民警察で、私についてはあまり紹介する必要はないですね、みなさんよくご存知なので。
私は家族でいちばん年下なので、かなり愛されました、特に私のお父さんは私を相当溺愛しました。小さいころから大人になるまでお父さんに殴られたことはありません。とてもラッキーですね。。。
お父さんの年代の家はとても貧しく、お父さんは子供のころ丹巴の做边耳という小さな村で過ごしました。お父さんは勉強が好きで、苦労をいとわず、一年生から班の中の班長になり(大学に入ってもずっと学生会の議長をしていて、もともとお父さんには指導者になる天賦の才能があってそれが現れ出たんです)、その頃農村から市街の学校で勉強するには40里もの山道を歩いていました(これでもまだ少なく見積もっています)、学校に寄宿して、一週間過ごし、週末に家に帰る生徒もいました。たいていは毎回学校まで半日あまり歩いたそうです。毎回実家に帰るたびに、そういう場所を通り過ぎると、お父さんは当時起こった出来事を話してくれます、例えばあるときお父さんは立ち止まって川の中に一本の棒を放り投げ(※訳者注:「仍」は「扔」が正しい)、流れる棒を追いかけて走りました~~そうすると速く走れるんです。また向かい側の山の上の洞窟を指差して、一度豪雨のときにあそこで夜を過ごしたことがあると話してくれました。。。小さい頃は学校に通うだけでなく兄弟姉妹と一緒に家の大変な農作業を手伝う必要もありました。学費を稼ぐためです。。兄弟姉妹でずっと苦楽を共にしてきたのでみんな愛情が深くて濃いです。お父さんが小さい頃に犯した最大の過ちは小さな友達と一緒にうっかり村の背後にある山の半分を焼いてしまったことで、驚きのあまり一週間は家に帰れなかったそうです。。(本当にすごいですね、ふつうの状況では過ちを犯さない良い生徒でも、いったん過ちを犯すとすごいことをしでかしてしまうということです。。)
お父さんは16歳にならないときに軍に参加し(私と同じように一兵卒ですが)、それから24年になります。。部隊の中ではお父さんは辛酸をなめ苦労に耐え、苦労をいとわず教養と知識を勉強しました。とても速く幹部に昇進しました。態度の良さが突出していたので当時お父さんは部隊で唯一北京の大学の学生として送り出されました。中央民族大学では、蔵語の翻訳がお父さんの専攻でちょうど声楽を勉強していたお母さんと出会ったそうです(とても小さい頃お父さんとお母さんは知り合いでしたが、当時お母さんは歌を歌っていてその土地ではとても評判でした。だから縁があったということですね~~)、大学在学期間お父さんは学校の学生会の議長の任務を担当しました。当時毛沢東主席の模範兵士になったそうです。。家にはまだお父さんたちが当時の模範兵の代表として毛主席、周総理。。(その他は知りませんよ)。。。などの国家の第一級の元老たちと一緒に写っている写真があります。
大学卒業の年、学校はお父さんに大学にとどまるように断固として要求し、お父さんを一か月間学校に「監禁」したと言ってもいいでしょう。毎日話をして。。一か月のうちにお父さんは激しい思想闘争をし、もし事がそのまま発展すれば、お父さんは故郷に帰るよりも北京に残ってもっと多くのチャンスがあったはずです。でも最後にはお父さんは部隊の方を選択し、故郷に帰って仕事をすることを選択しました。。そのまま今に至ります。お父さんはいまだに勤勉で誠実に自分の仕事をして職場でも実直に仕事をしています。ときどきお父さんは北京に出張研究に来ることがあり、昔の同窓生と集まるときは、当時の同窓生はたくさんいるのですが、お父さんの「手下」だった人たちが今はみんなお父さんよりも官職は上で、お父さんよりお金持ちです、でもお父さんは同窓生たちに対する威信はまだ弱まっていません。当時と同じです。
いまお父さんの村はとても大きく変化しています、その中でお父さんも小さからぬ貢献をしていて、道路を建設したり。。高圧変圧器を設置したり。。上水道を整備したり。。電話を設置したり。。お父さんはすべてに関わっています。。旧正月になって、時間さえあれば、お父さんとお母さんは私とお兄さんを連れて実家の親戚回りをします。。実家の人は私たちが帰ってくるのを知っていてみんな私たちを家まで訪問しに来ます。あれほど親切で、あれほど感動することは、実際にその中にいないと分かりにくいと思います。