日本企業の陥っている「相対主義の罠」

会社員生活を続けていると、日本の会社組織全体が相対主義の罠のようなものにはまっていることが分かる。
日本の高度経済成長の原動力が、決して技術革新ではなく、単なる長時間労働による労働集約だったというのは定説になっているようだが、今の日本企業がもはや労働集約で成長できないのも明白だ。
高度経済成長期はカリスマ経営者の方針を、全従業員が絶対的に正しいと「信仰」しさえすれば成長を実現できた。もちろん今でもベンチャー企業の創業期などはこの原則があてはまる。
しかし一定の規模になった現代の企業が、経営者への無批判な「信仰」によって正しい経営判断をし続けることができるという考え方は、端的に誤りだ。
逆に、経営者の判断をいかに複数の観点から批判的に検討し、相対化できるか。会社組織として正しい経営判断を下し続けるには、このような複数の観点からのチェックが必要になる。
ところが日本の組織人には、複数の観点があることを認め合って、お互い論理的に批判しあう伝統もなければ、能力もない。日本人は幼稚園のときからずっと「みんな仲良く」的な教育しか受けたことがないので、相互批判によって、できるだけ正しい判断に近づけていくということをする能力がそもそも欠けている。
その結果、現代の日本企業は「相対主義の罠」にはまってしまう。
僕の言う「相対主義の罠」とは、現代の企業が、トップの判断さえ相対化しなければならない環境になったために、かえって会社組織が公式的にはトップの判断を妄信してしまうという皮肉のことだ。
従業員全員が、トップの判断さえ絶対ではないことを既にわかっている。ところが日本人にはお互いを批判をしあうことで、少しでも正しい方針を練り上げていく能力がない。
するとそこに発生するのは不毛な「空気の読み合い」だ。もっともありがちな結末は、「偉い人」の機嫌を損ねないように、「偉い人」がたとえトンチンカンなことを言っていても、うわべはそれに従うという態度が組織に蔓延するという結果である。
しかし一人の人間として、自分が間違っていると思う意見に従い続けるのは精神的に限界がある。すると組織の外部での「内部告発合戦」が始まる。
仮にそうした組織の外部でのタレコミ合戦のような場所で垂れ流される意見を、会社組織が適切にすくい上げる機能をもっていれば(かつては労働組合がその役割を果たしていたはずなのだが)、日本企業は自分たちのおかれている相対主義(=何が絶対に正しいのか誰もわからない)という環境を、もっとうまく泳いでいけるはずである。
ところが現代の日本企業のトップは、高度経済成長下の「カリスマ妄信」が有効だった時代に社会人になった人たちが多く、こうした「相対主義の罠」をまったく理解できていない。
それどころか日本企業のトップの中には、某居酒屋チェーンの社長や、球団を持っている某信販会社グループのCEOのように、若い頃の「カリスマ妄信」の発想を引きずったまま、妄信する相手をリバタリアニズムに置き換えるという愚行に陥って、その自覚がないという、最も始末の悪いことになっている。