alan中国語ブログ試訳:2006/09/02

さてalanの中国語ブログにある初のエイベックス本社正式訪問記の日本語試訳だ。最初はa-nation観覧記、次にエイベックス本社訪問記、最後は解放軍芸術学院の学生ゆえの悲しいオチになっているが、「学校なんてイヤ!」と書いてしまえるところが、いい。
2006/09/02
 日本から帰ってきて、数日前から学校が始まりました。ともかく学校にせかされて帰ってきたんです。
 日本にいた期間の27日から31日までの行程はまだ書いていませんが、ここに皆さんにまとめてお教えします。
 27日午後、avexが行う一年に一度の超大型コンサートを見に行き、浜崎あゆみ、倖田來未、TRF、BOA、大塚愛などなど、avexのビッグスターがみんな舞台に登場して歌います。コンサートを見ている観客は全部で5、6万人、私たちは来賓席に座って、コンサートは午後2時半から始まり、ずっと夜の8時半まで続きました。
 コンサート(a-nation)は競技場で行われ、舞台はとても大きく、左右の幅は100メートル余り、前後も七八十メートルあり、舞台上の歌手たちはみんな歌いながら、前に走ったり後ろに走ったり、とても注意深く観衆とやりとりをして、でもコンサートの段取りはとてもよくて、観衆もみんな立ったまま見ていて、手には発光するうちわを持って、音楽のリズムに合わせて左右に振って、歌手たちが歌っている途中、舞台上でときどき突然きれいな花火まで上がって、その場の様子はとても壮観でした。最後のトリは浜崎あゆみでした。
 コンサート期間に、梅婷も観客席に座っているのを見つけました。(※訳者注:この梅婷というのはこちらの梅婷のことと思われる。阿蘭と同じ解放軍芸術学院出身の女優らしい)
 今までこんなに大型のコンサートを見たことがなく、コンサートを見終わった後は特に感慨深かったです。そして彼女たちのようにするには、舞台上で何回か盛り上げて、観衆とのやりとりに力を入れることです。
 日本の歌手は今まで口パクしたことはないけど、一部の歌手はライブの歌唱レベルが特別良くありませんでした。
 28日、初めてavexとの正式な面会、これも今回の東京行きの主な目的です。上から下までavexの社員の方で、私と関係のある全員と、一人も欠かさず会う必要がありました。どう言えばいいのかな?私たち会社の一行7人は、私を真ん中に挟んで、その時も一体どういう面会になるのか知らずに、学校(※訳者注:解放軍芸術学院のことか)と同じようなものだろうと思っていたのですが、執務室で会長にお会いしたら、一つ敬礼すればOKで、結果、学校とは違いました。
 先に応接室にいて、人が一人ひとり入って来て私たちと面会し、どう言えばいいのかな?私はその度に座ったり立ち上がったり、お辞儀をしたり、手を伸ばして名刺を受け取ったりしました。口の中では大して流暢ではない日本語をずっと止めずに話していました。最初の面会なので、例えば第何制作部にいますとか、誰が私の企画担当ですとか、制作担当ですとか、宣伝担当ですとか、作曲と作詞者ですとか、重要なことをたくさん説明されました。十数人か二十人の一行が一緒に私たちのオフィスを見に来て、同僚の人たち全員と挨拶して、その度に私に礼儀正しくおじぎをして、あいさつして、私は本当にある種あれよあれよという間といった感じで、めまいがしそうでフーフー言ってました(※「还没咋的就有点“碗儿”的感觉」がどうしても分からなかったが、「形容时间短」という助言を頂いたので意訳した)。
 ちょうど気分が落ち着いてきたとき、会社の社長が私たちと面会し、私はまだかなり気楽にあの二言三言の日本語を忘れないようにしていました。歩きながら、私はまだ気楽にあの二三言の日本語を忘れないようにしていました。歩けば歩くほど間違っているような気がしてきて、同僚がドアを開いたとき、私は気絶しそうになりました!大きな楕円形の会議テーブルの、右側に皆さんずらりと座っていて、私は軽く息を吸い、取締役の皆さん全員が「あんな風に」厳粛に私を見つめていて、内心おどおどし始めました。私たちはテーブルの左側に座りました。一人ずつ続けてお話になることを、通訳の人が絶えず私に小声で通訳して(通訳だけで二人も!)私は話さなければいけませんでした、私が勉強した基本的な日本語を全部言い尽くして、(みなさんこんにちは、私は阿蘭と言います。今年19歳です。私は中国から来て、私は中国の少数民族の一つ、チベット族で、私は今中国人民解放軍芸術学校3年生で、初めて日本に来てみなさんとお会いできてうれしいです、私の日本語はうまくありませんが、よろしくお願いします、これから一生懸命勉強して、向上し、みなさんをがっかりさせないようにします、ありがとうございました。)引き続き皆さん話し合いを始めて、後で話すように私も思い切って自由にして、中国語、英語、日本語をごっちゃにして話し、大筋は聞いて分かりました。
当日の面会は大成功でした。
 ホテルに戻って車を降りるとき、手をドアにちょっと挟んでしまいました、腫れてしまった.....
 29日、朝遅くにやっと起きて、何日かずっと歩いて、少し疲れていたので、思い切ってホテルにこもることにし、どこにも行きませんでした。
 30日、原宿というところに行き、そこでは渋谷で売っているよりさらに若い人向けのものがあるようでした。
 まだたくさんやり残した仕事があり、本来はまだ少し今後の打ち合わせをしたり、テストで録音したり、作曲の先生と打ち合わせしたりするつもりでしたが、学校から帰るように催促されて、31日に学校に顔を見せなければ処分があるとのことでした。仕方ありません、31日の昼食後、落ち着く暇もなくまっすぐ飛行場に向かって、おかげで私は這い転がるように慌しく帰ってきました(※「连滚带爬的」という表現はネットで検索するとたくさんあるのに辞書にない。ある伝手から「形容匆忙的逃走」と教えて頂いたので意訳してみた)。学校は本当に嫌だ!コンテストに参加する他の人はみんな休暇をもらっているのに、どうして私はこんなに急にせかされなきゃいけないの。