無数の不正の上に成り立っている日本の企業社会

赤福の組織的な賞味期限改ざんや売れ残り製品の再利用は、3年前、すでに内部告発があったようだ。おそらく今回、大きな事件になったのも内部告発によるものだろう。
今日も新たな事実が明らかになり、賞味期限の末尾に「暗号」をつけて、その商品が売れ残りを再包装したものであるなどの状態を手順書にして管理していたそうだ。それでも愚かな社長は、不正は会社ぐるみではなく、経営陣の関与を否定している。
誰がどう考えたって、不正を認識しながら放置している時点で、経営陣の責任は十分問える。にもかかわらず記者会見で、営業の再開こそわれわれの使命だと言い切っていしまう社長の盲目さ加減。
客観的に自分がどう評価されているのかについて、ここまで鈍感な社長だからこそ、平気で組織的な不正を放置できたのだろう。
しかしいわゆる老舗や、オーナー色の強い会社組織が、外部の視点から自分の組織を相対化することはかなり難しいのだろう。そのような組織では、経営陣の権力が業績の維持以外の理由で正当化され、絶対的なものになりがちだ。
そうすると、従業員は経営陣に対して合理的に反論する機会を失い、違法な手段をつかってでも経営陣の指示を実現するしか道がなくなる。何としても利益を出せと言われれば、売れ残りの商品を再利用してしまうのだ。
ただ、不二家、「白い恋人」、赤福は氷山の一角であることを忘れてはいけない。
僕のような凡庸なサラリーマンでさえ、過去に在籍した企業で、組織的な不正の片棒を担いでいたくらいだから(こんなことを書くと「交通事故」を偽装して殺されそうだが)、内部告発のネタを持っていない会社員は、そう多くないはずだ。
日本社会はそういう隠された無数の不正の上に、まあなんとか成り立っているということを忘れてはいけない。