中島美嘉の割り箸反対運動

僕は中島美嘉のファンだ。声量はないが歌が上手いことと、提供されている楽曲が良く、キーが合うのでカラオケで愛唱していること、ややエキセントリックな容姿も好きなことなどが、その理由だ。
ただ、先日、偶然、衛星放送でコンサートを見て驚いてしまった。曲間のMCで、彼女がいきなり、地球環境を保護するため「マイ箸」を持ち歩こうという話を始めたのだ。
もう20年前になるが、大学生のころ、学生劇団に誘って頂いた女性の先輩が、やはり割り箸は環境破壊につながるという理由でマイ箸を持ち歩いていた。
僕個人は、この手の草の根運動に懐疑的で、一人二人が割り箸を使わなくなったところで、日本全体の割り箸消費量が劇的に減るわけはないと、自分は同調しなかった。
その後、割り箸は間伐材の有効利用なので、環境破壊につながるというのは大ウソだ、という議論をどこかで聞いて、やっぱりと溜飲を下げた。
今回も、コンサート中に割り箸反対を呼びかける中島美嘉を見て、一ファンとして正直がっかりした。割り箸反対を呼びかけるくらいなら、石油から作られた合成樹脂が原料のCDをやめて、楽曲はすべてダウンロード販売のみにしますと宣言する方が、よほど地球環境のためになるだろうと、画面の中の彼女に向かって突っ込んだ。
...という主旨の記事を「愛と苦悩の日記」に書こうとして、僕自身の「割り箸は間伐材から作られているから環境破壊にならない」という認識が、ほんとうに正しいのか自信がなくなった。
そこで、東京大学の「環境三四郎」という団体のWebサイトに、中立的でかなり客観的と思われる論文を見つけたので、僕の稚拙な見解を披瀝する代わりにご紹介しておきたい。
東京大学「環境三四郎」
このWebサイトの資料室の調査報告書で、「割り箸から見た環境問題」の1999年版、2006年版をお読みいただきたい。
ざっと通読して僕が理解した限りでは、以下のようなことだ。
日本国内で流通している割り箸のほとんどが中国からの輸入品で、原料は間伐材ではなく、割り箸のために伐採された木材である。かつ、伐採された跡地は農地に利用され、森林再生のための植林は行われていない。
ただ、仮に日本が中国からの割り箸輸入を政策的に全面停止したら(事実上不可能だが)、中国の割り箸産業が壊滅的な打撃を受け、当然、割り箸産業に依存して生活する人々にも影響が出る。
割り箸問題一つとっても、中国の地方経済(そして地方と都市部の経済格差)と、日本の大量消費社会が、密接につながっていることを考えるきっかけになる、ということだろう。
したがって、割り箸について立ち止まってよくよく考えてみることに大きな意味はあるが、「マイ箸」を持ち歩くことに自己満足して、思考停止してしまうのは、かえって問題を見えなくするおそれがある。
短いサイクルで新曲を売り出す商業主義にどっぷりつかっているアーティストが、社会的な発言をするとき、どうすれば偽善的にならずに済むか、というのは、かなり難しい問題だと思う。
たとえば、環境保護を訴えるコンサートで、大量の電気を消費して、PAで大音量の音楽を演奏することに違和感をおぼえるのは、僕だけではないだろう。
僕自身、大量消費社会にどっぷりつかって、決して無罪ではない。そういう立場の人間が考えるべきなのは、どうすれば資源を使わずに済むかということではなく、使ってしまった資源を、どれだけ再利用できるか、ではないかという気がする。
割り箸問題についていえば、割り箸を使わずにすませることよりも、使ってしまった割り箸が再利用されるには、どういう制度設計が必要か、という議論の方が、はるかに実効性があるのではないか。
中島美嘉にこんなことを要求しても無理ということはわかっているが、有名タレントとしての発言力を利用するなら、もう少し実効性のある利用方法というのがあるような気もする。
...なんてことを書く資格が、僕のような人間にあるのかということは、棚上げして書いているのだが。