ルーマン「機能と因果性」精読(8)

今回も引き続き Niklas Luhmann, Soziologische Aufklaerung 1 – Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme, 7.AuflageのIII、ページ数で言うと22ページから読み進めたい。
機能主義的分析についての、ルーマンによるやや冗長な説明の部分である。しかし、冗長なだけに、ルーマンの方法論の基礎がよく理解できる貴重な論文であることに違いはない。
「機能的な関係づけの観点が使われるとき、原因であれ結果であれ、因果過程の諸段階は存在論的な事実性ではなく、問題として考えられている。機能主義的分析の基礎概念は、経験的な仮定の形式になっていない。そのことは機能主義的分析をあらゆる目的論的説明、あるいは、機械的説明から区別する。一定の原因が事実として先行し、それによって一定の結果の発生が説明されるか反転されるかすることが、前提されたり承認されたりしているわけではない。また、ある有機体が事実として存続していたり、あるシステムが均衡を保っていたり等々ということが、前提されたり承認されたりしているわけでもない。関係の統一性は問題と見なされているのだ。それは次のようなことだけを意味する。つまり、機能主義的分析の有効性は、個別の場合で問題が解決されるかどうか、結果が生じるかどうか、システムが存続するかどうかといったことに依存しない。したがって、次のようなことをも意味しなければならない。つまり、機能主義的な言表は、原因と結果の特定の関係に関わっているのではなく、さまざまな原因、あるいは、さまざまな結果どうしの関係、つまり、機能的等価物の確立に関わっているのだ」
この部分の説明もかなり冗長な感じがする。機能主義的分析は、事象の繋辞的な側面ではなく、パラダイムの側面に関わるものである、という意味のことが書いてある。
「機能主義的分析の関係づけの観点は、安定化の問題であって、定数の仮定ではないという洞察が、前面に出てくることになる。ここから、因果論的科学の実証主義にとって、関係づけの観点は何ら適切な説明根拠にならないということが生じる。したがって、これまで機能主義的分析が、システムの(ありうる)安定性を複雑な機能的作用によって純粋に因果論的メカニズムで説明することへと還元されていたのも、もっともなことだった。逆に、機能主義的分析の独自性を主張する人たちは、ある問題が説明根拠や分析の支えとなる根拠としても機能しうるということを―たとえここで言う根拠が存在論的形而上学の意味での根拠ではないとしても―受け入れざるをえないのである」
以上で「III.」の部分は終わりになる。ひきつづき「IV.」を読み進めることにしたい。
「IV.機能主義的分析の主要な問題の一つは、関係の統一性の定義だ。関係の統一性にとって機能的作用は等価である。この問いについて近年、機能主義的方法について賛否両論が集中している。関係の統一性の定義のあいまいさを取り除けないことは、多くの人にとって機能主義的方法に固有な困難さだと見なされている。しかしここでも、関心を因果的確定から等価的確定へと移せば、新しい側面がうかびあがる」
説明もなくいきなり「関係の統一性」という問題が持ち出されているので、この問題を理解するためには読み進めてみるしかない。
「支配的な因果的科学の機能主義は、機能を、存続をもたらすもの、あるいは、ある行為システムの存続の個別の前提となるものとして定義している。そこから機能的作用はしばしば行為システムの存続にはっきりと関係づけられる。しかしこうした定式化をより詳細に調べることで、かなりの困難さが明らかにされた。
 このような定式化は生物学に由来しており、有機体の機能的作用を生きている有機体、あるいは、ある種の有機体に関係づける。しかし生きている有機体という概念に、生物学は一義的な経験的関係づけのシステムをもっているが、社会科学はそれを欠いている。ある社会システムは有機体のように固定された型をもたない。たとえ生存のためにそのような発展が必要であっても、一頭のロバがヘビになることはない。それに対して社会秩序には、その同一性と連続的な存続を犠牲にすることなく、深い構造的変化が起こりうる。社会秩序は農業社会から工業化社会に変わりうるし、大家族が家族を超える政治的秩序をもつ部族にもなりうる。そして、いつ新しいシステムが生じるかは決定不可能だ。そうしたことは、社会科学には死という明らかに切断された経験的問題が欠けていることと密接に関係している。生物学において死の問題は存続の基準となっている。したがって社会科学にとって、あるシステムの存続の問題は不確定なものへと輪郭がぼやけてしまう。次のような意見に対しては、適切に反論できる。つまり、ある社会システムの存続は事実としてめったに問題にされないとか、本当に存続にとって決定的な機能的作用はごくわずかしかないとか、そのような理論による説明の価値はほとんどないなどといった意見だ」
ここでは生物学におけるシステム理論と、社会学におけるシステム理論の違いが問題にされている。一つの決定的な違いは、個々の有機体は死を迎えるが、社会システムには死という終わりがないという点だ。
そのために、そもそも社会システムについては、型(タイプ)の変化を論じることに意味はあっても、存続を論じることに意味はないのではないか、という疑念が出てくるのも当然だ。社会システムは言ってみれば「死なない」のだから、存続のための条件を問題にする機能主義的分析の有効性は限定されるのではないか。そういう疑念が出てきても仕方ない。
もちろんルーマンはそうした疑念に対して反論していくことになるが、つづきは次回ということにしたい。
(つづく)