ルーマン「機能と因果性」精読(6)

前回に引き続き、Niklas Luhmann, Soziologische Aufklaerung 1 – Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme, 7.Auflageの19ページから精読を進める。
「このような意味での機能概念を、機能的変数の枠内で等価物を確立するための規制原理として理解し、因果論的科学の機能主義のかわりに等価物の機能主義を利用すれば、上述の方法論的困難は解消される。したがって『欲求』はもはや、機能主義的な関係づけの観点以外の何物でもなく、さまざまな欲求充足の可能性が互いに等価であることを明らかにするものであることがはっきりする。それらの等価物は、ある欲求が現に充足行為を動機づけるかどうか、またどれくらいの確率で動機づけるかにかかわらず、確立することができる。したがってそれはまた別の問題形式、つまり、社会システム、または、社会文脈の存続にも当てはめられる」
先に欲求と結び付けられた機能的説明が批判されていたが、ここではあらためて、特定の欲求とその充足行為の個別の結びつきから独立した、純粋な交換可能性の体系としての機能概念が提示されている。
「機能主義はしばしばトートロジー的な定式化だという非難をうけるが、以上のような説明でそのような非難は無効になる。機能的な議論は、見出された作用から、それに対応する欲求を推測し、それによって作用の存在を正当化するといった点にはない。ある論理式は、関係づけの観点の定式化と、すべての等価な実現可能性との間だけに成立する。この論理式は分析的=発見的な原則である。どのような変数値(Einsatzwerte)がそのような機能的クラス、つまり、変数に属しているのかは、逆に経験的認識に関することであり、決して関係づけの観点の定式化からは生じない」
機能主義が、すでに発見されている結果から原因を推測することで、その結果はその原因から生じたのだ、という因果論的な機能主義にとどまる限り、たしかにトートロジーに陥ってしまう。
ルーマンがここで救い出そうとしている機能主義は、交換可能な等価物=変数値と、それらを関係づける点からなり、前者はいつでも他の可能性、他の等価なものと交換できるということから、特定の原因と特定の結果に縛られることなく、他の可能な等価物を探索するための発見的方法としても使える。
「さらにそれによって、機能主義的方法がその前提となるシステムの説明に、本質的に静的かつ保守的に関係づけられるのかどうか、あるいは、歴史的発展を考慮に入れることができるような社会的変化の問題はどうなのか、といった問いをめぐる論争が解決される。機能的方法は等価な他の可能性だけでなく、システムにおける変化の可能性、交換と代用の可能性、および、それらのフィードバックの可能性をも考慮に入れつつ、システムの諸性質を分析する。しかし、機能主義的方法は特定の変化の原因を確立したり、それらを前提することへは向かわない」
機能主義的方法は、システムについて決して静的でも保守的でもない、というのがルーマンの主旨であることは言うまでもない。
「したがって、当然のことながら、関係づけの問題は特定の機能的作用から生じる事実としての結果を『説明』することはない。関係づけの問題はその逆の意味を持ち、他の可能性を指し示す。それらの様々な可能性は、関係づけの問題を比較関係および交換関係へと秩序づける。認識が獲得するのはこれだけだが、過小評価すべきではない。しかしながらこの獲得物は、伝統的な存在論的・因果論的科学では評価が困難だった。したがって、ここまで素描された研究の端緒を、さらに説明することが必要となる」
以上のように「II.」の部分は、マリノフスキーの事例から始めて、機能主義的分析の方法をルーマンが素描したものだと言える。次の「III.」でルーマンは、この最後の部分で予告されているように、機能主義的方法を伝統的な因果論的科学(学問)との比較で、さらに深く論じていくことになる。
(つづき)