ルーマン「機能と因果性」精読(4)

邦訳が出版されていない二クラス・ルーマンの「機能と因果性」のドイツ語原典を引き続き精読してみたい。
なお使っているテキストは、VS Verlag fuer Sozialwissenschaften刊「Soziologische Aufklaerung 1-Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme」の2007/02出版の第7版である。今回はその16ページからということになる。
「II. マリノフスキーの儀式と呪術についての分析は、機能主義研究の古典的パターンだ。儀式や魔術は感情的に困難な事態への適応という問題を参照することで説明されている。儀礼と呪術は緊張の高まる状況を経験せよ、という社会的命令を含意している。凶作と飢饉の脅威や死が迫っている場所では、儀礼と呪術が問題に対する一定の形式の表現を可能にする。儀礼と呪術は仲間の立会いの下、社会的に正しい行動の可能性と必要性を定義し、それによって緊張の経験に形式をあたえることを可能にする。その形式は同時に社会的団結を強める」
ルーマンは機能主義的研究の範例としてマリノフスキーの人類学を持ち出している。
「ここには一見して魅力的で、事実にも基づいた洞察がある。しかしここで興味深いのは洞察そのものではなく、その洞察のもつ魅力と明証性の根拠である。なぜこの種の機能主義的な主張(Feststellungen)が興味深く、明白なのか。このような認識作用はその方法論的正当性の証明をどこに見出すのか」
「こうした明証性の根拠は、機能主義的分析がそこで扱われている事実を比較可能なものにする点にある。機能主義的分析は個々の作用を抽象化された観点に関係づけ、その抽象化された観点はまた別の作用の可能性をも明らかにする。したがって、機能主義的分析の意義は(限定された)比較領域を開くことにある。マリノフスキーが儀式の機能を感情的に困難な自体への適応を容易にすることだと主張するとき、それによってその問題に対する別の解決可能性としてどのようなものがあるか、という問いを、暗に投げかけている。さらに儀式を機能的等価物のその他の可能性に関係づけている。その他の可能性とは、例えばイデオロギー的な説明のシステムや、悲嘆、怒り、ユーモア、爪かみ、想像上の逃避世界に引きこもることなどの個人的反応だ。この点がマリノフスキーの洞察の興味深いところだ。重要なのは、特定の原因と特定の結果の間の規則的な、あるいは、多少なりとも本当らしい関係なのではなく、ある不確かな(problematisch)結果の観点から、より確からしい原因の機能的等価物を確立することなのだ」
ここでは、マリノフスキーを典型とする機能的分析の意義が、比較可能な「他の可能性」、つまり等価物への入れ替え可能性を開く点にあることが主張されている。さらに読み進めてみよう。
「機能的等価物の概念はよく知られており、広く利用されている。しかしその概念は物事を定義するためのメルクマールや、方法の原理とは見なされていない。機能的等価物という概念の可能性は有効に活用されないままだ。この概念の中にこそ機能主義を因果論的方法から引き剥がす鍵がある。機能とは結果を生み出すものではなく、ものごとを規定する意味図式(Sinnschema)なのだ。その意味図式は等価な作用どうしを比較する領域を組織化する。機能とは、さまざまな可能性からある統一的な側面を把握するための特殊な観点を指し示す。この観点においては、個々の作用が具体的な出来事として比較不可能なものとして区別されるにもかかわらず、他方では、等価で、相互に交換可能で、代替可能であるように見えるのだ。したがってある機能はまったくカントが定義したような意味で『様々な表象を一つの共通の表象の下に秩序づけるための行為の統一』なのだ」
ルーマンによれば、いってみれば因果論的分析が、ものごとの統辞論的側面に着目するのに対して、機能的分析がパラダイム的側面に着目しているとされているように思える。
「このような機能概念は最終的に論理的数学的機能理論にも基づいている。これまで、論理的・数学的機能主義と社会科学的機能主義の間の断絶は安易に甘受されてきたが、機能概念の助けを借りれば、その溝をうめることができる。論理学が『~は青い』といった不完全な文を文の機能として扱うとき、特定の可能性から成り立つ限られた比較領域を開くことしか意味せず、それによって欠けているものを補完し、文を真の命題へと完成させる。『空』『私の車』『スミレ』などは、この機能にとって欠けているものを満たす等価物だ。したがって純粋な機能とは一つの抽象化である。抽象化は文の完全な意味を与えない。抽象化は一つの規則を告げるだけであり、その規則にしたがって、文の真偽値を変えることなく、どのような変数値 Einsatze(「独立変数 Argumente」)によって文を完成できるのかが決定される」
この最後の文は訳出しづらいのだが、情報科学の比喩をつかうと理解しやすいだろう。抽象化された文は一つの関数のようなもので、その関数にどのような引数(arguments)を与えるかによって、完成された文の意味が変わってくるが、真偽値が変わるわけではない、ということになるだろうか。
「Einsatz」という名詞はeinsetzenという動詞から来ているが、einsetzenは「はめこむ」というのが最初の意味になっている。したがってEinsatzwerteは、一定の値をもつあてはめ可能なもの、つまり「変数値」と訳してみた。
つづきを読み進めてみる。
「同じような根本思想は数学的機能(=関数)理論でも前提条件となっている。ただし、数学的機能(=関数)理論では、それに加えてより多くの機能的変数値の相互関係に、厳密で明白な秩序が求められている。そのような等価的変数値の秩序が計算操作を可能にしており、計算操作の中では機能(=関数)が変数値を代表している」
Funktionenが「機能」であると同時に「関数」であり、その抽象化の可能性、つまり計算可能性が、代替可能な変数を前提としていることは見やすい。
「すべての機能的等価物の可能性というクラスは、一般に変数として表される。変数とは概念であり、概念は計画的に無規定なままにとどまる。変数とは空位のことだが、変数は任意ではなく一定の方法によってのみ、個々の可能性で満たすことができる。変数は機能的な関係づけの観点によって定義され、その観点を手がかりとして、空位を埋めるどのような可能性が考慮されるかが決まる。また、その観点は別の可能性を発見するための手引きとなる。ある機能の等価物の領域は、機能的な関係づけの観点をどう定義するかに依存している。関係づけの観点の定義は、逆に機能を等価物の領域の構成に向かわせる。そして関係づけの観点を定義することは、このような秩序づけの作用によってのみ正当化される」
因果論に対する機能主義的分析の本質が少しずつ明らかにされているところで、つづきはまた次回ということにしたい。
(つづく)