ルーマン「機能と因果性」精読(2)

「機能と因果性」でルーマンはパーソンズの機能主義的方法を要約した上で、その批判的拡張を試みる。
「われわれはこうした批判を独自の本質的なやり方で跡づけ、拡張してみたい。
 その出発点として次のような洞察が使える。つまり、結果によって原因を説明することはもはや不可能であり、それゆえある行為の機能は、その結果を見たとき、その行為の事実としての結果を説明したり、予言を許したりするほど十分な根拠にならない。したがって、機能主義的理論は行為の結果をその機能と関係づけるが、行為の結果を因果論的な補助構造を通じてより詳細にその資格を判定する必要がある。われわれはすでに今しがた、限られた種類の結果しか機能的関係づけの観点として考慮できないことを見た。いまやその結果のもつ特別な資格がどのような方法的意義をもつかが重要になる。その特別な資格によって、結果は十分な説明根拠へと拡張されるだろう。このように試論を進めれば、以下のような3つの例が示される」
ルーマンは機能主義的方法を拡張し、結果を十分な説明根拠にする方法を提示しようとしている。
「1.より古い機能主義的理論では機能的説明が主に欲求と関係づけられ、そこから、動機としての欲求、したがって欲求を満たす行為の原因としての欲求が因果論的に有効とされた。欲求と動機がこのように真剣に同一視されると、生じた結果とそれを生じさせた原因の同一視にまで到り、それによってトートロジー的循環に迷いこんでしまう。それに対して、欲求とそれを除去する動機が分離されると、そのそれぞれを別個に経験的に確立するという困難な問題が生じる。また、欲求と動機の間の論理的(法則的?)関係という問題や、その関係を経験的検証という問題も生じる。そしてさらに、欲求概念がそれによって因果論的な説明能力を失ってしまう」
たとえば、食事という結果的行為を食欲という動機で因果論的に説明しても、じつは何も説明したことになっていない。ルーマンはここで、欲求概念に訴える因果論的説明は、原因と結果の関係性について、なんらプラスアルファの情報をもたらさないことを批判している。
「全く同様に『緊張』または『対立(Konflikt)』といった概念も、欲求の除去という動機を想定するように誘導する。それによってこれらの概念は機能的分析の中心点となり、機能的分析は同時に因果論的説明となる。それによってある科学的世界像が生み出され、その中に緊張の緩和や順応、対立の解消に向かう一見自然な諸傾向が-純粋に方法的制約のある理由から-組み込まれる。結局その根底にあるのは、問題は自らその原因を解消へともたらすものだという楽観的な見解なのだ」
ルーマンはさらに、緊張の緩和、対立の解消といった説明原理もまた、なぜ緊張が緩和されなければいけないのか、対立が解消されなければいけないのか、といった本質的な疑問に答えない点で不十分だとしている。
「2.この因果論的科学による説明の問題に対するもう一つの回答は、均衡理論だ。均衡理論もまた結果をより詳細に性格づけることで機能概念を定義するので、結果を機能的説明の根拠として利用する。均衡理論は機能的説明をもっぱら諸システムだけに関係づけ、諸システムはその環境に対して自分自身を均衡状態に保つとする」
次にルーマンが検討の俎上に載せるのは均衡理論だが、ここでも均衡状態というシステムの結果的な状態が、機能の説明根拠として利用される倒錯を指摘することになる。
「均衡概念による説明は無数に存在する。それらの説明において決定的な考え方は、潜在的な因果性というものだ。システムの中には、かく乱が起こった場合にシステムを安定した状態にもどすように作用する諸原因が存在する。したがって、たとえばお互いを妨害するように定められた機械的な諸力のシステムがあり、それらの諸力はかく乱によって解放されると、均衡を回復する方向に作用するとされる。あるいは、生きている有機体の内部の諸傾向は、特定の環境変化によって共同である原因の組み合わせを生み出し、その原因の組み合わせによって体温が一定に保たれ、流血した傷口をふさぎ、要するに有機体の特定の性質を維持する方向に働く(ホメオスタシスのこと)。あるいは、構成されたフィードバックシステムがあり、環境のある種のデータに関する情報によって、システムの出力を制御する」
ここで例示されているのは、システムの均衡状態が、システムが作動し始める以前に前提されてしまっているシステム論である。ルーマンは当然のことながら、このような決定論的なシステム観も批判の対象としている。
「これらのシステムはすべて、変化する環境の作用に対して特定の特徴を維持する点で共通している。その点でこれらのシステムは、そのような作用をシステム内部の原因によって補完する。したがってシステムは単にシステムの存続に必要な特定の原因が規則的に発生することだけに依拠しているわけではなく、それに加えて諸原因の横のつながりにも依拠しており、それによってある原因の変化という帰結をもたらし、原因どうしが互いに他を補完するように干渉し合う」
ただしルーマンは均衡状態を維持するシステムという考え方に、一つの利点を見出している。それはシステムとその外部である環境の関係から、システム内部で原因の布置そのものが組みかえらる可能性を論じることができるからだ。
「したがって、そのようなシステムの存続安定性は単純な因果関係の複合的な組み合わせによって確保されている。システムの存続安定性は特定の諸原因と特定の諸結果の関係に還元できる。しかしこの関係は、システムを規定しようとすると、法則としてしか定式化されない。つまり、システムごとに一つの変化の可能性しか持たない。熱力学と経済学はこのような意味で、均衡モデルを不変の法則を定式化するための方法的補助手段として使う。このような前提条件があって初めて、システムのある状態から別の状態を推論することができる。そのようにしてのみ、以下のような予知が可能になる。つまり、システムの存続に必要な諸原因の領域内で、環境の制約をうけた変化が起こることで、補完的メカニズムが介入し、システムの重要な特徴を一定に保つ。それに反して、社会生活の領域にはそのように規定されるシステムは存在しない。したがって社会システムに均衡概念を転用すると、概してあいまいな類比や比喩にとどまる。そして、方法的により注意深く考えると、理念形モデルとしての均衡観念が、経験的に記述できる意味なしに導入されるとき、まさにそのことによって均衡観念による説明の実効性が問題となる。パーソンズの研究は均衡観念について一つの注目すべき変種をもたらし、反応メカニズムの考え方を普遍化の概念に結びつけた。パーソンズはそこから出発して、そのような反応メカニズムによって、より確実な方法でシステムを環境の変化に左右されないものとして確立し、その限りで普遍的なものとして確立した。『メカニズム』という概念は特定の原因と特定の結果の関係を示唆し、またそれに対応するパーソンズの機能概念を示唆する。しかし普遍化という概念は、機能概念に対立するものとして構築されている。普遍的なものは独自の方法で特殊性を免れ、まさにそのことによって安定している。普遍的なものはより多くの経験的で多様な可能性に開かれている。その安定性は、イポリット・テーヌが初めて定式化したように、特定の結果に起因せず、代替可能性に起因している。象徴、貨幣、権力、快楽体験などといったパーソンズの普遍化のメカニズムは、おそらく伝統的な因果論的科学の外側に解釈を要求し、その秩序化作用を明らかにするだろう」
均衡概念に関するこの最後のパラグラフでは、パーソンズの普遍化への要求が、機能がシステムの均衡に奉仕するといった目的論的な観点から脱して、代替可能性をもとにした新たなシステム観への道を開くことが予告されている。この点についてルーマン独自の考え方は、本論の後半で展開される。
(つづく)