ルーマン「機能と因果性」精読(1)

二クラス・ルーマンの主著『社会学的啓蒙』第一巻(1970年初版)の巻頭論文「機能と因果性」は邦訳がない。
『社会学的啓蒙』の邦訳版によれば、ルーマン自身から強く訳出の要望があったが、各所ですでに引用されているので翻訳しなかったらしい。しかし、機能主義的分析を因果的分析の序列を逆転させるこの論文が、ルーマンの社会システム論を理解する基礎になることには違いない。
「機能と因果性」は次のように始まる。
「機能主義的方法は社会科学において他のさまざまな研究方法の一つと見なされ、概念構築と関連付けの特殊な手法とされる。多くの研究者が機能主義的方法に没頭し、優れた業績に達しているが、機能主義的方法を拒否し、その基礎概念のあいまいさを指摘し、機能主義的方法が一定の価値判断を含み、社会変化の問題に鈍感な点を非難する研究者もいる。あるいは、機能主義的方法を、ふつうの因果律による説明技術と区別するのを認めない研究者もいる。因果論的科学の有効性を検証する厳密な基準に比べ、機能主義的確定(Feststellung)の経験的な有効性や検証可能性の問題もまた未解決だ」
 このようにルーマンは社会科学おける機能主義的方法の評価の低さを指摘している。
「機能的方法をこのようにして限られた意義、限られた成果しか生まない特殊な社会科学的方法として扱うことは、最近キングスレー・デービスが疑問に付している。しかし彼の論文は機能主義的方法の独自性に矛先を向け、いま機能主義が陥っている方法論的困難は、ある部分は不要なものとして、ある部分は社会学と社会人類学に共通の問題として描かれている。機能主義は一面的な因果論的説明や実証的経験主義、進化論的歴史主義に戦いを挑んではいるが、現代のより成熟した社会科学の競技場において余計なもの、鋳つぶしてしまえるものにされかねないと書かれている」
ここは機能主義低方法の評価の低さの具体例である。
「統一的な機能主義的社会科学についてのこのような考え方は魅力的かもしれないが、社会科学の統一の方向ではなく、機能主義的方法の批判の形へ発展する。社会科学の方法論的統一への展望はこのように一気に疑問に付され、破壊される。われわれはこんなことを受け入れなければならないだろうか。
 機能主義的方法の特殊な地位とデービスによる批判は、一定の前提条件をつければ、機能主義と因果論的研究の関係について主要な論点となる。しかしそれらの前提条件は、めったに研究されず、特に方法論的考察のテーマにもならない。仮に研究されれば、目的論的因果性と機械論的因果性の古くからの対立に一貫して流れる観点を確立できるだろう。機能は因果論的概念によって定義されるだろうし、行為、役割、あるいは制度といったものの機能が、事実として引き起こした結果を因果論的に説明できるかどうかが問題になるだろうが、その答えはもちろん否である。したがって因果論的関係が一意的で時間的な方向付けを得て以降(因果論的関係は古代ギリシアの思想家にとっても、中世の思想化にとってもそのような方向付けを持っていなかったのだが)、もはやどんな種類の結果も原因から説明することはできない」
ここでは、因果論との対比で機能主義が真剣に論じられてこなかった点が指摘されている。
「われわれはあの有名な目的因(causae finales)に対する反論を蒸し返す必要はない。問題はそれらの反論が科学的方法としての機能主義にふさわしいかどうかだ。結論を先取りしておこう。機能主義的方法の自己理解が伝統的な存在論的因果論解釈にとどまり、結果による目的論的説明や、原因による機械論的説明とは別の選択肢に関心をもつ限り、それらの反論は機能主義にふさわしい。機能主義的方法が自分で自分を規定し、もはや特殊な因果論的関係としてではなく、逆に機能的カテゴリーの特殊な応用例として因果性が考察されるとき、それらの反論はふさわしくないものになるだろう」
ルーマンは機能主義的方法論を、因果論的方法論から独立に定義することを目指しているのだ。
「I.社会科学は、論理的数学的な機能概念にはっきりと反論するとき、機能的関係を例外なく一種の結果として定義し、因果論的科学に従属させる。目的論的概念を直接使用するとき、しばしばそういうことが起こる。そこでは特殊な結果が目的と見なされ、機能はその目的にかなった行為と見なされる。しかしこのような解釈は、その目的概念をより詳細に説明しようとすると困難に陥る。たしかに予期され、意図された目的だけを考えるわけにはいかず、社会科学の重要な問題はまさに行為の結果の中でも熟慮されなかった結果の領域にあるからだ。そうでなければ目的とは一体何だろうか。目的は行為のその他の結果からどうやって区別されるのだろうか」
ここでは、一つの行為から生まれる多数の結果のうち、特定の結果をその行為の目的として特権化することの欺瞞があばかれている。痛快である。
「これらの問いに対する説得力のある答えはまだ一つも見つかっていない。したがって社会科学、特に社会学と人類学は生物学の研究方法を手本にして、目的論から自由な機能的概念を発見した。複合的に構築された統一体、つまり一つのシステムを存続させる限りにおいて、ある行為を機能と見なしたのだ。この考え方はタルコット・パーソンズによって最も根本的な原理に完成された。パーソンズにとってシステムとは行為のシステムであり、それらの行為は相互に依存し、そのような相互依存によって環境に対して相対的に不変である。つまり環境変化から独立している。いかなる行為もそのようなものとしてのシステムの存続に貢献しており、それによって一つの機能をもつ。一つの機能はまた一つの特殊な結果として特徴づけられる」
ここはタルコット・パーソンズのシステム理論のルーマンなりのまとめだ。
「『システムの存続に対する貢献』や『システム問題の解決』、『システムの統合や順応への要求』などの定式化が単なる因果関係しか意味せず、『AはBの原因である』といったタイプの主張を根拠づける必要があることが明らになると、多くの疑問が浮かんでくる。これらの前提は、ひとたび明らかにされると、因果論的科学の通常の方法論的規則を参照することになる。つまり、一定の原因と一定の結果の間に不変の関係を固定化することで、経験的データを予言し説明する目的を参照したり、そのために必要な理論的かつ実践的な技術をも参照する。このような因果論的科学の厳密な方法論は因果論的判断の真理探究能力を決定している。その方法論がなければ、因果論的言述は原因と結果の関係について学問的有効性をまったく持たなくなってしまう。ここから、ナーゲルとヘンペルは社会科学における機能主義を、これら因果論的科学の方法的諸要求と対立させる権利を得た。その結果は概して否定的だった」
ルーマンの論の展開は速く、ここでは早くもパーソンズの機能主義が一般的な因果論の方法論を要求してしまっていることを暴いている。
(つづく)