ワタミ社長の教育委員会についての自己満足的暴論

先週につづいてワタミ社長・渡邉美樹氏が日経ビジネス・オンラインに連載している『もう、国には頼らない』にツッコミを入れてみたい。ひとことで言えば、「社会のことが見えていないのは、渡邉さん、あなたの方ですよ」というツッコミだ。
渡邉美樹氏は、神奈川県の教育委員会が、一般市民による公教育のチェックという本来の機能を失い、教師側の利害をまもる機関になってしまっていると非難している。そして、自分が神奈川県の教育委員会で「ひと暴れ」する様子を誇らしく書いている。
まず、渡邉美樹氏の議論の明らかな問題点の一つは、神奈川県の教育委員会の「堕落」を、すべての教育委員会の問題として一般化してしまっていることだ。このような一般化は、他の都道府県の教育委員会の状況を調査してから書くべきだろう。メディアでたびたび公的な発言をする人物としてはあまりに不用意だ。
しかし、ここで指摘したいのは渡邉美樹氏の議論の、より根本的な問題点だ。
たしかに渡邉美樹氏の言うように、神奈川県の教育委員会は本来の機能をはたしていないかもしれない。ただ、それに対して、「本来の機能を果たしていないだろ!」と「ひと暴れ」することは、人並みの正義感と論理的思考力と時間があれば誰にでもできる。
渡邉美樹氏は自己満足的な「ひと暴れ」をする前に、もう一歩ふみこんで考えるべきなのだ。なぜ教育委員会は本来の機能をはたさなくなったのか、と。
渡邉美樹氏のいうように、教育委員会という制度ができた当初は、一般市民による公教育のチェックという機能をはたしていたと仮定しよう。ならば、どうしてその機能が失われてしまったのか。その理由は何なのか。
そこが説明できないかぎり、渡邉美樹氏がいくら暴れても、氏が委員を退任すれば教育委員会はもとにもどってしまう。
自分が辞めても、残された組織が適切に機能しつづけるようにするという観点が、渡邉美樹氏には欠けているようだ。まあこれは、創業者社長によくある典型的な限界なのでしかたないが、いやしくもじっさいに委員として公的な発言をするなら、もっと自分自身の思考の限界を自覚すべきだろう。
ちょっと議論が脱線した。では教育委員会はなぜ本来の機能をはたさなくなったのだろう。その理由について、渡邉美樹氏はこう書いている。
「では、なぜその教育委員会がうまく動かなくなったのか。委員会のメンバーを見ると原因が見えてきます。とにかく教育関係者に偏りすぎなのです。大学の先生、地域の校長先生やその候補者、教師OB、それ以外だと地元の名士、有力者というのが、一般的なメンバー構成です。議論の前提が、既存の学校や教師の権益をいかに守るか、となってしまうのも当然です。」
そして渡邉美樹氏はその対策として、つぎのように書いている。
「教育界以外の民間人の方、当たり前の社会通念や常識を備えた、さまざまな立場の人が集まって、わが市町村、都道府県でそれぞれの独自性を持った教育カリキュラムを組みましょう。地域、地域の特色性を持ちましょう。子どもたちに良い教育をしましょう。」
とても単純な二項対立の図式だ。教育関係者=悪、民間人=善。言うまでもなく渡邉美樹氏のこのような二項対立の図式は完全にまちがっている。
なぜ、教育委員会が教育関係者(ところで教育関係者は「民間人」ではないのだろか?)にかたよる結果になったのか。それは、民間人が教育委員会のような制度に関心がないか、自分自身のことに忙しくて、関心があっても参加する時間がないからだろう。
ではなぜ「民間人」は公的な制度にこれほど無関心になってしまったのか。それは経済成長のために家族もろとも長時間労働にかり出されているからだ。
渡邉美樹氏も、開業資金をかせぐために宅配便業者で昼夜問わず働いていたころは、教育委員会に物申す余裕はなかっただろう。ところで渡邉美樹氏は、教育委員会などの市民としての活動に参加できる時間的余裕を、ワタミの社員に制度的にあたえているのだろうか。
「民間人」が多忙な結果、公的教育に関するあらゆることが特定の集団に「丸投げ」されてしまう。これは、どちらが原因でどちらが結果かというよりも、今の日本の社会をかたち作っているしくみ、構造である。
いってみれば、日々の生活に忙しい「民間人」と、教育問題を丸投げされてしまっている「教育関係者」は、おたがいに補完しあう関係にあるのだ。
「教育関係者」は「民間人」が教育を他人まかせにするので、結果として教育にかかわる組織や制度を独占してしまっている。「民間人」は「教育関係者」が教育にかかわる組織や制度を独占してしまっているので、ますます教育を他人まかせにする。
この相互補完的な構図のうち、片方の「教育関係者」だけを悪者にして非難し、自分は正義だと言いたげな渡邉美樹氏の議論が、ほぼ完全にまちがっていることはもうおわかりだろう。
改めていうが、ワタミの社員には「民間人」として活動するのに十分な時間が与えられているのだろうか。渡邉美樹氏は教育委員会で「ひと暴れ」し、それをメディアで自慢するよりも、まず自分の管理下にある「民間人」を「民間人」として機能させるのが先ではないだろうか。
もし渡邉美樹氏が、「民間人」として活動する時間は、自分の休日を削ってでもつくるものだと反論するなら、こう答えよう。それではうまくいかなかったから、いまの神奈川県教育委員会があるのではないか。
実現可能性のない理想論をぶち上げるのは、一企業のリーダーとしては許されるかもしれないが、社会に対する批判としては単なる自己満足に終わり、生産的でない。