単純すぎる業務効率化の分析モデル

結局今週は『新世紀エヴァンゲリオン』週間となり、第弐拾四話まで見終わった。残りは2話のみ。
二クラス・ルーマンの入門書を読み終えたところで、Amazon.co.jpから社会学的啓蒙の邦訳を2冊取り寄せたら、1冊が表紙は『社会システムのメタ理論』で中身が『社会システムと時間論』と、妙なことになっていた。
それはいいとして『法と社会システム―社会学的啓蒙』を読み始めたが、予想どおり、原書の社会学的啓蒙第一巻の論文のうち一部分しか翻訳されていない。それでも、いきなり1984年の『社会システム理論』を読むよりは、こちらの方から読み始めるべきだったことは明らかだ。
邦訳と対比しながら読もうかと思い、会社帰りに丸の内オアゾの丸善で、「Soziologische Auflaerung(社会学的啓蒙)」の原書がないか探してみたが、ルーマンは濃紺の表紙でおなじみのSuhrkamp Verlag KGから出版されているものしかなかった。
サラリーマン社会の理論は、せいぜい直線的な因果律の世界で、フィードバック・ループが考慮されていればまだ良い方だ。先日も社内の業務分析のワークショップに参加したが、分析結果のモデルがあまりに単純化された因果律だったので退屈だった。
業務の生産性向上は、それほど単純な問題ではないはずだ。分解された個々の業務は、入力と、処理と、出力があり、単位入力あたりの出力を最大化することが生産性向上と呼ばれる。しかし、まず第一に、出力単位には量的な要素だけでなく時間的要素、つまり速度も含まれる。
速度を考慮に入れると、分解された業務を統合したときの、ボトルネックの問題を解消しない限り、業務の全体としての効率化に結びつかない。これはゴルドラットの『ザ・ゴール』でおなじみの考え方だ。
第二に、分解された業務の連鎖として業務の全体性を見る考え方は、直線的な因果律で、フィードバック・ループがまったく考慮されていない。ある業務のアウトプットは、次の業務のインプットになるだけでなく、それより以前に存在した業務のインプットへともどっていく場合もある。
さらに言えば、ある業務のアウトプットが、次の業務のインプットへ、どのようにつながれているのか、そのコミュニケーションを成り立たせている環境の問題が考慮されない。たとえば、社員数が2倍になれば、コミュニケーションの複雑さは約4倍になる。したがって業務の生産性向上の効果は、社員数の増加とともにだんだんと減っていくのだが、そのことが考慮されていない。
などなど、あらを探せばいくらでも出てくるのだが、そもそもサラリーマン社会における業務効率化は、初めから半分くらいは「ためにする効率化」にすぎない。モデルを精緻化する方がバカげているとなるのがオチだ。