『知恵の樹』と『行為の代数学』

ウンベルト・マトゥラーナ、フランシスコ・バレーラ著『知恵の樹』(ちくま学芸文庫)と、大澤真幸『行為の代数学―スペンサー・ブラウンから社会システム論へ』(青土社)を読んだ。
ルーマンの社会システム理論を理解する前提として、オートポイエーシス理論とスペンサー・ブラウンの理解が必要なのでは、と考えたためだ。
ただ、『知恵の樹』は平易な入門書なので、一般的なサラリーマンにとっては良い頭の体操になるだろうが、オートポイエーシス理論について突っ込んだ記述がなく、実在論と観念論の中庸を行くというスローガンと、生体システムと環境はどちらが先ということではなくお互いがお互いを生み出すのだということが理解できた程度に終わった。
また『行為の代数学』は、どこまでがスペンサー・ブラウンの所論で、どこからが大澤真幸氏の敷衍なのかが分かりづらい。
スペンサー・ブラウン独特の原始算術と原始代数の簡潔な解説は、初めてその方法論にふれる僕にとっては興味深いものだったし、「これって否定と論理和で書き換えられるのでは」と思ったら、案の定、巻末に大澤氏によるブール代数への書き換えが行われていた。
もっともスペンサー・ブラウンそのものについて、評価は分かれるようで、たとえばこちらの「スペンサー・ブラウンなんていらない」というページがある。原始代数は単なるブール代数であり、re-entryは単なるフィードバックだと断じれば、確かにスペンサー・ブラウンなんでなしで済まされるのかもしれない。
さらに『行為の代数学』では、スペンサー・ブラウンもベルクソンもジャック・デリダもヴィトゲンシュタインも究極的には同じことを言っているのだと書かれているような印象が残り、また文体の面では「要するに」が頻出するため、単純化が過ぎるのではないかと考えた。
マトゥラーナ、バレーラについては他の著書も読む必要がありそうだし、スペンサー・ブラウンはやはり原著『形式の法則』(大澤真幸、宮台真司訳)に当たってみる必要がありそうだ。もちろんスペンサー・ブラウンがまともに相手をする価値のある思想家であるとすればだが。