ヴォネガット『チャンピオンたちの朝食』

先日、米国の小説家カート・ヴォネガット氏が亡くなったのにちなんで、勝手にヴォネガット追悼週間ということで、近所の図書館にあった唯一の文庫本『チャンピオンたちの朝食』を読んだ。訳は当然のことながら浅倉久志氏。
浅倉氏による日本語訳が出ているのは1984年だが、原書は1973年の出版、訳者あとがきによればヴォネガット氏が『スローターハウス5』の次に完成させた作品ということらしい。
題名から主人公がボクシング選手だと想像する方もいらっしゃるかもしれないが、題名と小説の内容はほとんど無関係。スタイルとしては短い断片と百以上の筆者自身によるイラストからなるメタフィクションで、著者自身が「わたし」として登場する。
1970年代米国の拝金主義、環境破壊、根強く残る人種差別などを軽妙な文体で執拗に批判しつつ、主役、脇役にかかわらず、さまざまな登場人物が平等なディテールで描かれ、物語らしい物語もないまま、はちゃめちゃなクライマックスに向かっていくといった感じの小説。
あえて人道主義的な人間観を相対化して、機能主義的な人間観を通低させている点は、同時代のフランスのポストモダン哲学と共鳴するところがあるように思える。
その意味で、米国で完全に異端あつかいされてしかるべき、ヨーロッパ的な世界観のはずなのだが、米国では出版当時、絶賛と激しい批判が同時に巻き起こったらしい。この作品が絶賛されるという点に、息苦しい日本社会とは違う、米国的自由の本質を垣間見るような気がする。
ヴォネガット特有の悲観主義と皮肉っぽさを楽しめる人にとっては、麻薬的な魅力をもつけれども、何のことだかさっぱりわからない人にはわからないといった性質の小説。高橋源一郎の小説の愛好家なら文句なしに楽しめる作品。
土曜日の朝、NHKFMラジオでピーター・バラカンの番組を愛聴している日本人と、ヴォネガットの愛読者である日本人は、かなり重複しているのではないかと勝手に想像する。
ただ、初めてヴォネガット作品を読む人にとって、おすすめできる作品ではないかもしれない。やはり『スローターハウス5』か『母なる夜』(昔は白水社の新書でも読めたが、今でも読めるのだろうか)をおすすめしたい。