ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』

予想されたことではあるが、ヴィトゲンシュタインの『哲学探究』は半分も読まないうちに図書館へ返却となった。体形だった論文ではなく、いくつかの主題がくり返し断片で論じられる形式なので、非常に読みづらかった。
要するに言語というもののルールは恣意的であり、可能性としてはつねに他のルールでもありうるような一種のゲームであるにもかかわらず、われわれはいかにしてその言語をつかって真理を語ることができるのか。言語をつかって真理を語る権利や資格を、人間はいったいどこから得ているのか。そういうことが書いてあるのだと理解した。
このような理解がある程度正しければ、学生時代に僕が理解しようと努力していたフランスの哲学者ジャック・デリダと、方向性としてはそれほどズレていない。
ヴィトゲンシュタインが言語の「限界」について、ひたすら愚直に探究しているのに対して、ジャック・デリダが一見不真面目に見えるほどまでに、言語の恣意性と戯れている、そういったスタイルの違いがあるだけのような気がする。
...と、分かったようなことを書いても何の意味もない。『哲学探究』から現在の僕が何か得るものがあったか。残念ながらなかった。本書から何かを得るためには、同じ問題をヴィトゲンシュタインとともに考えながら読まなければならないのだが、じっくり考える時間が僕にはないからだ。