Windows VistaとMacのテレビCMを比較する

Windows VistaのテレビCMに比べて、Macintoshの比較広告のまあ子供っぽいこと。あのMacの比較広告にひかれてMacを買う人間、Macユーザでよかったと思う人間は虚栄心のかたまりだろう。
Macintoshの比較広告「Get a Mac」日本語版シリーズ
Macintoshのあの比較広告は、明らかに「他人の目から見たときにWindowsよりMacがカッコいい」ということを訴求している。そこには「他人の目を気にする自分」という自意識過剰な自己が確かにある。
他人の目が気にならないなら、Windowsユーザに対してMacintoshの優位性をわざわざ主張する必要などないはずだ。Windowsを使っていようが、Macintoshを使っていようが、自分で納得していればいいわけで他人と比較する必要はない。
それに対してWindows VistaのテレビCMが素晴らしいのは、あくまで個人的な感動を描くことに集中している点である。
すでにご覧の方はお分かりのように、Windows VistaのテレビCMのテーマは、万里の長城を初めて見た白人女性の思わずもらす「Wow」という感嘆詞と、Windows Vistaの画面を初めて見た日本人男性の思わずもらす「おお」という感嘆詞が同じものだ、ということだ。
Windows VistaのテレビCMの中で思わず感嘆詞をもらす人たちは、お気づきのようにすべて一人である。この点があのCMの演出上のポイントだ。
つまり、他人から見たときに自分がどう思われているか、そんなことはどうでもいい。本当の感動というものはきわめて個人的(personal)で私的(private)な体験なのだ、というのがWindows VistaのテレビCMのメッセージである。
これに比べると、Windowsのカッコ悪さをダシに、自分自身のカッコ良さを訴求するMacintoshの比較広告が、病的なほど自意識過剰なことがわかる。Macintoshの比較広告は、意図に反してMacintoshユーザを根本からバカにしているのだ。
つまり、Macintoshの比較広告は、Macintoshユーザというのは、他人の「あなたはこうあるべきだ」という欲望を、いとも簡単に自分自身の欲望だと思い込んで内面化してしまう、まさに中身がからっぽの泡のような「バブリーな人間」であることを告発しているのだ。
さらに、Windows VistaのテレビCMが、個人の想像を超えた、突然の世界の現れ(例えば万里の長城の雄大さなど)に驚くという、脱自的な体験を淡々と描くことに成功しているのに対して、Macintoshの比較広告は徹底して自閉的で自己満足的な自意識、「オレのセンスはいいだろう」「わたしっておしゃれでしょ」という、それこそヲタク的な自閉性のレベルにとどまっている。
Windows VistaのテレビCMが「世界へ開かれた窓(windows)」というWindowsのコンセプトを描くことに成功しているのに対して、ラーメンズ出演のMacintoshのテレビCMは、「カッコよさ」の自閉的な回路の追認にしかなっていない。
Apple社には、小じゃれた周辺機器メーカーとしての未来しかないだろう。