流行を追うことが時代遅れな現代

キャンディーズについての記事が多いのをお読みになって、もしかすると読者の中には、過去への郷愁にひたっている僕の甘さを批判したくなる方がいらっしゃるかもしれない。
しかし、ご注意いただきたいのは、僕はリアルタイムでキャンディーズの全盛期を体験したわけではないということだ。むしろ今、キャンディーズというアイドルグループを再発見している、と言った方が正確だ。
最近、米国アーサーS.デモス財団が無償で配布している「パワー・フォー・リビング」という冊子のテレビCMに登場している(枕詞が長くて申し訳ない)久保田早紀についても同じことが言える。『異邦人』が大ヒットしたとき、僕はまだ10歳にもなっていない。『異邦人』の収録されている『夢がたり』というアルバムを「発見」したのは二十代半ばになってからだ。
僕らの世代は流行を追い求めることを無条件に良しとする傾向が強いが、こういう傾向自体が一つの「流行」に過ぎない。「新人類」以降の世代には、この流行追求の傾向があまりに自明なため、自ら相対化することが難しい。
流行に敏感であることを誇ること自体が、「新人類」世代の遺物であり、時代遅れであるという逆説がここにある。新しさを誇ること自体が古い、という逆説がここにある。
例えば、梅田望夫氏がグーグルという会社の新しさをあちこちで説き回っているのが、非常にダサく見えるのは、新しさを追い求めて米国西海岸なぞに行ってしまうという行為そのものが、いまや時代遅れになっているからだ。
現代は流行を追い求めることが時代遅れになってしまっている時代なのだ。