「婦女暴行未遂で服役男性は無実、公判中の男逮捕」

やはり日本の刑事裁判は「疑わしきは罰する」で、中世ヨーロッパの魔女裁判レベルのようだ。2007/01/19に富山県警の婦女暴行未遂のえん罪事件が明らかになった。
『Shall We ダンス?』の周防監督が痴漢えん罪事件を題材にした映画『それでもボクはやってない』を公開して話題になっているが、富山県警が2002年に無実の男性を婦女暴行未遂で逮捕し、この男性はすでに刑期を終えているという。
Yahoo!ニュース掲載のYOMIURI ONLINEの記事によると、この男性にはアリバイもあり、証拠となった現場の足跡の大きさも違っていた。にもかかわらず有罪になり、3年の実刑判決を受けて服役し、刑期を終えた今ごろになって、別の婦女暴行事件で公判中の男性が自供し、無罪だったことがわかったという。
これが日本の刑事裁判の恐ろしさだ。近代司法制度では、本来、裁判官は検察側がそろえた証拠が完璧かどうかを精査し、一点でも不完全なところがあれば「無罪」にするのが大原則である。
しかし日本の刑事裁判は99%が有罪になる。いったん警察につかまったが最後、裁判官は果たすべき役割を果たさず、ほぼ自動的に有罪になるという、非常に恐ろしいことになっている。
田中角栄元首相のロッキード裁判がいかにムチャクチャな刑事裁判だったかは、小室直樹著『日本人のための憲法原論』を読めばよくわかる。あれは田中角栄氏を有罪にするためだけに、あらゆる「違法」な手段をつかっておこなわれた裁判だったという。
えん罪の第一歩は、逮捕直後に警察から言われるひとことだ。「罪を認めればすぐに出られる」。この言葉のウラには、罪を認めなければ費用のかかる長い長い裁判が待っている、というメッセージがある。
その甘い言葉にのって罪を認めたが最後、いくら途中から自供をひるがえして無罪を主張しようが、経済学者・植草一秀氏のように世間からはれっきとした罪人として白眼視される。
僕らはそういう前近代的な刑事裁判がまかりとおる国に住んでいるのだ。そしてそのムチャクチャな刑事裁判を支えているのは、例えば植草一秀氏を「ヘンタイ」よばわりして話のネタにして楽しむ、民度の低い国民なのである。

「婦女暴行未遂で服役男性は無実、公判中の男逮捕」」への0件のフィードバック

  1. WL通信

    杜撰

    逮捕時「証拠ある」 富山の無実男性の兄に県警 (朝日新聞)
     富山県警が強姦(ごうかん)事件などで逮捕し有罪判決を受け服役した男性(39)について「客観的証拠がない中の逮捕で無実だった」と発表した問題で、金沢市…