「治外法権」化した学校という「聖域」

今日のTBS『報道特集』は心的外傷に苦しむ少女のいじめ問題を取り上げていた。中国人の少女が小学生時代、暴力にまでエスカレートしたいじめに合い、6年たった今でも安定剤なしでは眠れないという。
最近、少女の両親が当時の加害児童の両親を相手どり、損害賠償請求(民事裁判)を起こしたが、加害児童側はいじめの事実そのものがなかったと争う構えだという。
番組の内容としては、両親の調査請求に対して教育委員会が小学校に実地に聴き取り調査し、いじめの事実を認め、両親に謝罪するという、珍しく誠実な態度だったと評価していた。
確かに、いじめの事実を隠蔽しつづけた事例に比べれば、まだましだと言えるのかもしれないが、『報道特集』のような本格的なジャーナリズム志向の番組としては、あまりに粗末な結論だ。
当時小学生の少女は体にあざができるほどの暴力をうけていたというのだから、どう考えても傷害事件として警察に通報するのが、ふつうの市民として学校関係者がとるべき当然の対応ではないだろうか。
たとえば町中で小学生の女の子が、集団で殴る蹴るの暴行を受けていたとしよう。そこにたまたま通りがかった普通の大人なら、あわてて注意してやめさせるか、その勇気がなければ、少なくとも警察を呼ぶかするのが当たり前の対応だろう。
『報道特集』が取り上げていた少女の場合でも、傷害事件であることは明らかだ。それにもかかわらず警察に通報しなかった学校側は、校長や教師である以前に、一市民としてやるべきことをやっていないだけのことではないか。
目の前で展開されている立派な刑事事件を、警察に通報することさえせず、見逃すような人間に、そもそも教師などつとまるはずがない。
つまり、これほどまでに「学校」という場は治外法権の「聖域」となってしまっているのだ。日本の学校はここまでわけのわからないことになっているのである。
一歩、校門をくぐれば、そこはもう市民社会の法律が適用されない治外法権であり、教師が生徒を殴ろうが、生徒が生徒を殴ろうが、生徒が教師を殴ろうが、殴り放題、器物損壊もやり放題。
いくら法に触れるようなことをやっても、学校側が警察に通報することはない。こんなことでいじめ問題がなくなるわけがないではないか。案外、左翼の熱血漢タイプの教師ほど、学校に警察が介入することに猛烈に反対し、学校を必死で「聖域」化しようとする傾向があるらしい。
そう言えば昔観たテレビドラマ『3年B組金八先生』でも、警察が校内になだれ込むのを必死で押しとどめようとする金八先生が、学校と言う聖域の純粋さを守る「ヒーロー」のように描かれていたのを思い出す。
傷害事件は警察の手にゆだねよ。このごく当たり前のことさえ実行できない教育関係者に、いじめ問題を云々する資格などない。