久しぶりに鶴山台をひとり歩く

出張で大阪に帰省したついでに天王寺から足を伸ばしてJR阪和線の北信太駅まで出かけてきた。以前ここでも触れたが、鶴山台という都市基盤整備公団の大団地は僕が幼稚園から小学校6年生までを過ごした土地だ。
小学生の頃は北信太駅から鶴山台団地の賃貸棟の58棟、そして後に引っ越した分譲棟の8棟までは随分遠く感じたものだが、大人になって歩いてみるとそれほどでもない。今回はビデオカメラをもって、平日の午前中ということもあって人影まばらな団地の中を歩き回ってみた。
実は6年ほど前にも寒い季節に訪れたことがあるのだが、そのときはなぜか気が引けて、当時通っていた小学校の校庭の裏までまわって、小学校5、6年と付き合っていたOさんの家に近づくことができなかった。
でも今日は思い切って小学校の正門の前を通り過ぎて敷地沿いに右へ折れ、しばらく歩くと見えてくる通用門を通り過ぎてもう一度敷地沿いに右へ折れる。すると校庭裏にまっすぐな道路が伸び、左に大きな一軒家がずらりとならんでいる。
少し歩くとOさんの実家が僕の記憶の姿のままにたたずんでいた。四半世紀ぶりにしげしげと見上げたOさんの家は、長年の風雨にもくすむことなく白い壁がまぶしく輝いていた。一般的な日本家屋より傾斜のきつい屋根と、美しいクリーム色の壁のせいで少し西洋風に見えるところまで何も変わっていない。
周囲に誰がいるわけでもないのに、心臓が破れそうなほど高鳴るのを悟られまいと、早足でその前を通り過ぎた。その後、いつもOさんと学校帰りに歩いた団地の中の小道をなぞるように歩いてみた。この小道も何も変わっていない。ところどころにある小さな児童公園の遊具も、Oさんとならんですわって話した木製のベンチも、少し小さく見えるだけで、何も変わっていない。
小学校の卒業アルバムから僕自身の作文を引用してみる。漢字仮名遣い、句読点もそのまま引用する。原文に改行がないので読みづらいがご容赦いただきたい。
作文全体がかぎカッコでくくられ、話し言葉になっていることにご注意されたい。自分で言うのも何だが、六年間の思い出について架空のインタビューをうけた記事という凝った体裁になっている。
ひとにぎりの六年間
「六年間の思い出?そうだなぁ、僕の性格が性格だかったから物心も早くついて……。入学の時は、同じ棟に居たMさんちのお姉さん(当時高学年)に色々なことを教えてもらってわりと不安もなしに一年生になれたよ。そう、こんな事言ってもいいのかな、初めてバレンタインデーにチョコレートをもらったのが一年生だった。ニヒヒ。二年生と三年生の記憶っていうのはあまりないんだ。なぜかって、その時と今の友達の質が変わっているからだよ。でも、五年生と六年生ほどすばらしい時期はなかったな。僕の人生論の根本的な考えが出来上がったのもこの時期なんだ。さて、ざっとマッハ10ぐらいのかけ足で見て来た六年間は僕にとって……”人生のスタートライン”でもあった六年間。一日一日の劇的瞬間が昨日の事のように思い出される印象強い六年間。努力の大切さを受験という試練を乗り越えて知った六年間。なにもかもがすばらしい思い出ばかりの六年間。そして、まさに、あっという間に過ぎ去った『ひとにぎりの六年間』だった。少しませてるけど『今、人類にとって必要なのは、愛。』これが小学校生活六年間での僕の哲学の結論なのです。」
小学校6年生のガキに「五年生と六年生ほどすばらしい時期はなかったな」と言わせ、「今、人類にとって必要なのは、愛。」という自意識過剰な台詞を書かせたのは、他ならぬOさんのおかげである。おそらくOさんは、西洋風の一軒家が今も美しいままであるように、幸福な結婚をされて、美しく年齢を重ねていることだろう。