小室直樹『日本人のための憲法原論』

小室直樹著『日本人のための憲法原論』(集英社インターナショナル)を読んだ。
日本が真の民主主義と真の資本主義を取りもどすためには父権復権が必要だという巻末の主張は厳密さを欠いていていただけないが、それ以外の部分は目からウロコの憲法論だった。
キリスト教の予定説についての説明は『日本人のための宗教原論』と大部分が重複するし、同著者の経済学や社会思想の入門書をすでに読んでいる方には食傷気味になる箇所も多いだろう。
しかし、たとえば「憲法とは国民に対する命令ではなく権力に対する命令である」とか、「刑法は犯罪者を裁くための法律ではなく裁判官を縛るための法律である」など、法制度に関する自分の認識がいかに誤っていたかを認識できた。
ほとんどの日本人が憲法というものは、国家が、国民に対して、国民の義務と権利を記していると勘違いしているが、憲法とはそもそも放っておくと怪物(リヴァイアサン)になってしまう国家権力を縛るための慣習法なのだ。
また刑法には「殺人を犯してはいけない」とか「盗みをしてはいけない」などといったことはまったく書かれていない。そもそも容疑者は刑事裁判によって罪刑が確定するまでは無罪なのだから、罪刑が確定した犯罪者を裁く法律というのはありえない。
刑法に書いてあるのは、もし誰かが殺人を犯したときにはこれだけの刑しか科すことができない、という量刑に関する規定なのだ。もし裁判官が刑法で懲役3年以下と定められた罪に対して懲役5年の求刑をすれば、その裁判官は刑法に違反したことになる。
そういうわけで、刑法とは裁判官を縛るための法律であって、犯罪者を裁くための法律ではないのだ。
これらのことは恥ずかしながら、僕にとってまったく目からウロコだった。
まだ司法制度についても、小室直樹氏は田中角栄のロッキード裁判のデタラメさを例として、日本の司法制度がいかに未成熟であり、三権分立の原則に完全に反しているかを暴き出している。
このことは、先日ご紹介したビデオニュースドットコムで、エコノミスト植草一秀氏が登場して冤罪を訴えた放送回で、社会学者・宮台真司が強調していたことでもある。
近代司法制度においてもっとも重要なことは、裁判が適正な法的手続きにしたがって行われたかどうかということであって、容疑者が心の中で犯罪を犯そうという意図をもっていたかどうかなど、刑事裁判には全く関係ないのだ。
ほとんどの人が、刑事裁判で裁判官は容疑者を裁くのだと勘違いしているが、裁判官は検察を裁いている。検察が容疑者が有罪であることを立証するにあたって、適正な法的手続きにしたがっているか、そしてその立証に破綻がないかをチェックするのが刑事裁判なのであって、犯罪者を裁くのが刑事裁判ではない。
最近、宮台真司や小室直樹の著作でこうした議論にふれるまで、僕も恥ずかしながら憲法や司法制度について完全に誤解していた。
近代市民社会を生きる者として、憲法とは何か、民主主義とは何か、資本主義とは何か、そして日本の憲法・民主主義・資本主義がすでに死んでしまっているという事実を、『日本人のための憲法原論』を読んで、まず認識することから始めたい。

小室直樹『日本人のための憲法原論』」への0件のフィードバック

  1. サラリーマンつれづれぐさ

    感想文 日本人のための憲法原論

    ブログ「愛と苦悩の日記」の記事に刺激されて、小室直樹著『日本人のための憲法原論』を読みました。学校で教えてくれなかった大切な事項をわかりやすく教えてくれる、すばらしい教科書でした。高校で倫社や政経の授業がつまらなかった方(私もその一人です)は、本書を読めばその埋め合わせができます。反対に倫社や政経の授業が面白かったという方は、「おさらい」のつもりで読んでいただけると、ご自身の知識の裏づけが得られるでしょう。ちょうど高校二年の息子が冬休みでごろごろしているので、息子にも読ませたいと思います。……