続・内藤朝雄『いじめの社会理論』

内藤朝雄『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解』(柏書房)から、いくつか印象的な部分を引用してみたい。
「会社や学校では、精神的な売春とでもいうべき『なかよしごっこ』が身分関係と織り合わされて強いられている。そしてこの生きていくための日々の『屈従業務』が、人々の市民的自由と人格権を奪っている」(p.1)
「現代の日本社会では、多くの人々が共同体への人格的献身として学校や会社への参加を強いられ、人格的自由あるいはトータルな人間存在を収奪され、きわめて酷いしかたで隷属させられるといった事態が生じた」(p.20)
「学校は会社とともに日本の中間集団全体主義を支えてきた。日本の学校は若い人たちに共同体を強制する、いわば心理的過密飼育の檻になっている」(p.24)
「たとえば、スーパーマーケットや路上で市民が市民を殴っているのを見かけたら、別の市民はスーパーマーケットの頭越しに警察に通報する。その通報者は市民的公共性に貢献したとして賞賛される。しかし学校で『友だち』や『先生』から暴力をふるわれた生徒が学校の頭越しに警察に通報したり告訴したりするとしたら、道徳的に非難されるのは『教育の論理』を『法の論理』で汚した暴行被害者の方である」(p.120)
「いじめで自殺する少年の多くは、加害者を司直の手にゆだねるという選択肢を思いつくことすらできないままに死んでいく。それに対して加害生徒グループや暴行教員は自分たちが強ければ、やりたい放題、何をやっても法によって制限されないという安心感を持つことができる」(p.120)
そして内藤氏による「自由な社会の構想」は次のようなものだ。
「①人々を狭い閉鎖空間に囲い込むマクロ条件を変えて、生活圏の規模と流動性を拡大すること。
②公私を峻別し、こころや態度を問題にしない、客観的で普遍的なルールによる支配。」(p.266)
おそらく読者の皆さんが働いている職場も、「精神的な売春とでもいうべき『なかよしごっこ』」を強制されるような閉鎖空間ではないだろうか。