内藤朝雄『いじめの社会理論』

ビデオニュースドットコムにも出演して、いじめ問題について宮台真司、神保哲生と鼎談していた内藤朝雄の書いた『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体』(柏書房)を読んだ。
中盤はかなりハードな理論構築になっているので、精神分析や哲学、社会学の知識のない方は、前半と後半を読むだけでも十分「目からウロコ」のいじめ論になっている。
昨夜だったかのNHKの9時からのニュースでも、いじめに対する「画期的な対策」として、学級の中で小学生どうしがお互いの良いところを褒め合う、という取り組みが紹介されていたが、その程度では全くいじめ問題の対策にならないということは、この『いじめの社会理論』の冒頭を読むだけでわかる。
内藤氏がいじめの根本的な原因とするのは「中間集団全体主義」だ。全体主義といえばナチスや戦時中の日本のような、国家による全体主義が真っ先に思い浮かぶが、内藤氏は、国家と個人の中間に存在する集団、たとえば「学校」や「会社」などといった「中間集団」による全体主義こそが、いじめの根本原因だとする。
また、内藤朝雄氏は本書の中で、世間の識者や権威、有名人がもっともらしく語る「いじめ問題」の解決策を類型化し、問題設定そのものが間違っているとして、バッサリと斬り捨てている(同書p.47以降を参照)。
今日のニュースでも、英国の制度にならって、加害者側を出席停止にするという案は、いじめ対策としては行き過ぎだ、と答弁する政治家が登場していたが、こういう答弁こそが学校のいじめを「正当化」しているのだ。
また、相手の立場にたって考える心を育てればいじめはなくなるといった「こころ」に依拠した議論も、まったく効果がないどころか、いじめの被害者の「こころ」を改造することでいじめを解決しようという現場の指導を正当化することになってしまう。
『いじめの社会理論』を読み終えると、世の中のいじめ問題に関する議論のほぼ全てが問題設定そのものを誤っており、かつ、即効薬にも中期的対策にもならないことがわかり、やや絶望的な気分になる。
本書の末尾で内藤氏が提言しているような制度は、一体いつになったら日本で真面目に議論されるようになるだろうか。大人が生活している会社という中間集団でさえ、「みんな仲良く」という同調圧力がこれだけ強いのだから。