「システムとしてのいじめ」の解決法

「金八先生」こと武田鉄矢が最近のいじめ問題について、「いじめるヤツにどんなに説教しても変わらない。大事なのはいじめられているヤツを鍛えること」(日刊スポーツの記事)とのたまわったらしい。一見、逆説的な考え方だけに、一般人にはもっともらしく聞こえるだろうが、妙な納得感を与えるおそれがあるという意味で、始末が悪い。
いじめというのは、いじめられるのがイヤだからいじめるのであって、いじめる側といじめられる側は、ささいなきっかけで簡単に入れ替わってしまう。いじめられっ子に働きかけて、うまくいじめられる立場から救い出せても、いじめられっ子が転校するなり自殺するなりして不在になっても、また別の子がいじめられるだけだ。
宮台真司氏の専門である「社会システム理論」的に言えば、そこにあるのは「いじめのシステム」であって、一人ひとりはそのシステムの要素にすぎない。したがって、いじめられる側でなければ、必然的にいじめられる側になる。
この「いつでも入れ替わる可能性がある」ということこそが、「いじめのシステム」を自己強化している。「いついじめられる側になるか分からない」という不安があるから、なおさら必死になっていじめる。
必死になっていじめるほど、関係者全員の「いついじめられる側になるか分からない」という不安は高まり、いじめはもっとヒドくなる。この悪循環で「いじめのシステム」は自分自身を強化する。いじめのシステムを解消するには「いじめのシステム」自体に働きかける必要がある。
すべてのシステムには、システムの内部と外部の環境がある。目の前に「いじめのシステム」がある場合、そのシステムには外部の環境との間に境界があるはずだ。
ならばその境界をたえず流動させてやればいい。具体的には、クラス替えを1か月に1回おこなう、そもそも「クラス」をなくす、部活動の入退部をいつでもできるようにする、むしろいろいろな体験をさせるために頻繁な入退部を推奨する、などの方策だ。
また、特定の学年全体が「いじめのシステム」を形成しているなら、空間や時間の境界を持ち込めばいい。つまり、同じ学年でもA組とB組の教室を物理的に離してしまうとか、A組とB組では、一学期と二学期で時間割の組み方が入れ替わっている、などだ。
そのように「いじめのシステム」の境界線を流動化させる方法は、いくつかあるはずだ。システム内部に働きかけている限り、いじめはなくならないことだけは確かである。

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