続・楽屋話「IT業界の5年後を占う」

日経BP社のボツ原稿「IT業界の5年後を占う」について、とある読者の方からメールを頂いたので補足しておきたい。
僕の原稿が客観性を欠くという編集者の指摘について、この読者の方は、哲学者の書物や評論家の論説を傍証として引用しなかったからだとお考えのようだが、事実はすこし違っている。
まず「数値」によって客観性を担保せよということ自体が、編集者からの指示であり、僕はそれにしたがっただけというのが真相だ。また、この第二稿を仕上げた後、大手町のカフェで編集者と打ち合わせをしたが、編集者は僕が職場で実際に体験した実話に強い興味を示し、そういう実例こそ記事に説得力をもたせるとおっしゃった。
さらに、記事を「キーワード」で組み立てるのは、分かりやすいようでいて実は難しいという助言や、「島宇宙」など一般人には分からない言葉は、たとえ短い解説をつけても使うべきでないという助言も頂いた。理由は、そこで読者が直ちに読むのをやめてしまうからだ。
最終的には、僕の第二稿とカフェで僕から聞き出したことをもとに、編集者の方が自ら記事全体を組みなおすとおっしゃって、原稿ができたらチェックだけお願いします、となった。
もし哲学者や評論家の引用でもしようものなら、編集者の方に「宮台真司なんて誰も知りませんから、そんなことを書いたらそこで読者は読むのをやめてしまいます」と言われただろうことは間違いない。
第一稿を書く前のメールのやり取りで、僕はあまり読者をバカにしたような原稿は書きたくないと、正直な考えをお伝えしたが、編集者の方はやはり最大公約数的な誰にでもわかる原稿にこだわった。
ここでこの編集者の方の弁護をしておきたい。僕より年上のこの編集者の方は、そうした最大公約数的な「読者をバカにした」ような記事は本来ダメだということを十分理解されている。
この編集者の方も一介のサラリーマンとして、雑誌は啓蒙する媒体たるべきだという理想と、企業としての利益の追求という現実の矛盾をわかった上で、あえて後者を選択しているということだ。無批判に最大公約数的な記事を書くことを僕に指示されたわけではない。この点については編集者の方を弁護しておきたい。
結局、カフェで打ち合わせしたとき、編集者の方が読者がいちばん食いつくとおっしゃっていたのは、僕の職場での体験談であり、それこそが「客観的」ということの意味だったのだ。
僕が書いたような抽象的な議論、理念的・概念的な議論は「主観的」であり、僕が体験した事実こそが「客観的」だという、素朴な実在論が、この編集者の方が一介のサラリーマンとして(真意に反して?)従わざるを得ない、日経BP社としての編集方針だったのである。
言うまでもなく、同じ事実を見ても、考え方によってその解釈は正反対になりうる。まして僕の原稿の読者はIT業界に働く同業者として、職場で僕と似たような体験をしている。
僕の体験する事実はそれほど特殊ではない(この編集者の方はIT業界での実務経験がなく、たしかに僕の体験談は興味深かったかもしれないが)。僕が自分の署名で執筆する意味があるとすれば、僕が引用できる考え方の(「僕独自の考え方」とはあえて言わないことにする)特殊さをおいて、他に何があるだろうか。
おそらく僕に執筆の機会がまわってきたのは、梅田望夫氏のような著名人に執筆を依頼する予算がなかったからに違いない。考え方の独自性ではなく、体験の特殊性を求めても、IT業界に働く人たちの体験はすべてそれなりに特殊である。
IT業界人は僕のありふれた体験談などに興味は示さないだろうが、僕が引用する特殊な考え方にはさまざまな反応を示すだろう。例えば日経ビジネスオンラインのコラムには、読者がコメントやトラックバックをつけられるものがある。ソフトブレーン社の宋代表が最近アップした「いじめ問題」についてのコラムには、数百ものコメントがついていた。日経BP社はここから何も学んでいないのだろうか。