IT業界の5年後を占う(2)

※日経BP社からの依頼で執筆したものの、紙面の都合でボツになった原稿を、日経BP社の許可を得て掲載しました。
■5年後を占うキーワード
以上のような社会・経済環境をふまえ、IT業界の5年後を占うキーワードを考えてみた。「ノンコア」「リスク・アバース」「コモディティ化」「消費者嗜好の細分化」の4つだ。
◆ノンコア
「ノンコア」とは各企業の非中核業務のことで、給与計算、福利厚生などの人事関連業務が代表例だ。各企業は自社の中核業務へIT投資を集中させるため、非中核業務をひきつづき外部委託していくだろう。IDC Japanの2006年4月の調査によれば、ITアウトソーシングサービスの利用企業は2005年比で7.9ポイント増の33.6%となっており、利用を予定している企業の比率も1.8ポイントと着実に増加している(「日経ソリューションビジネス」2006年8月17日記事)。
同じくIDC Japanの2006年1月25日付けレポートによれば、国内の人事、経理・財務、調達・購買分野の業務アウトソーシング市場規模は、2004年から2005年へ10.7%増で、2009年まで年間平均成長率6.5%で推移する予測になっている。
このアウトソーシングの流れはBPO(ビジネスプロセス・アウトソーシング)へと深まりつつある。アウトソーシングはいわば労働力だけを提供する労働集約型で、社内の省力化が主な目的だったが、BPOでは労働力だけでなく設備・ノウハウまで提供し、IT分野では業務システムの保守・運用も含めた外部委託の形をとる。
大規模システムの運用ノウハウをもつITベンダーにとって、BPO化の流れは大きなビジネスチャンスになる。大型コンピュータの仮想化技術の進歩で、ベンダーは同一の筐体を複数顧客向けのサービス提供に共有できるようになり、投資効率の向上でBPO事業の収益改善が期待できる。また、非中核業務は後述のSaaSと違って業界固有の専門性を求められないため、一定の設備と汎用的な業務知識があれば参入できる。この点もBPOの成長可能性につながる。
◆リスク・アバース
「リスク・アバース」を直訳すれば「リスクをひどく嫌うこと」となる。2005年の個人情報保護法施行や、迫る日本版SOX法施行など、日本企業は良くも悪くも「リスク過敏症」にならざるをえない。企業の社会的責任が厳しく問われるようになったことも背景にある。
リスク・アバースの流れは企業だけではない。マスコミが一部の異常な犯罪を必要以上に報道するせいで、地域社会の安全性低下への市民の不安が高まり、さまざまなセキュリティサービスに対する需要を生み出している。
企業のリスク過敏症は内部統制の強化につながり、関連するIT需要を喚起する。一つは情報セキュリティ投資。バイオメトリクスによる本人認証の強化、自己検疫ネットワーク、コンテンツフィルタリングなどだ。
もう一つは、監視・追跡システムで、システムのアクセスログ収集と分析、メール送受信の履歴管理や、社内利用者の操作履歴管理、製品のトレーサビリティを担保する生産履歴追跡システムなどだ。これらは大容量のストレージを要求するので、ソフト、ハード両面でIT需要を呼ぶ。
NRIセキュアテクノロジーズの2005年の調査では、情報セキュリティ投資を30~50%増やすと回答した国内上場企業の割合は、2004年度と比較して7.3%から18.4%に増加している。今後は中堅・中小企業へも需要の広がりを見せるだろう。
一方、一般消費者のリスク過敏症は、携帯電話のGPSを使った位置特定サービスや、インターネットカメラによる遠隔監視サービスがその典型だ。ともに広帯域の通信回線が安価になったこと、そして何より「監視社会化」に対する人々の抵抗感がうすれてきていることが背景にある。プライバシーとセキュリティの天秤が、セキュリティに傾きつつあるということだ。
富士経済の「2006セキュリティ関連市場の将来展望」では、ホームセキュリティ市場は2008年に2005年比17%増の883億円、スクールセキュリティサービスは実に3倍の67億円に成長すると予測されている。一般消費者向けのセキュリティサービスでもITは主役になる。セキュリティサービス業者に広域網を含めたシステム構築を提案する需要が高まるだろう。
◆コモディティ化
コモディティ化とは、安い高速回線、安い高性能コンピュータが「当たり前」化することだ。「当たり前」化は、それによって企業や個人の参入障壁が低くなり、それがIT基盤業者の設備投資をうながし、さらに多くの企業や個人の参入を促すという好循環を生んでいる。
企業にとって高速回線・高性能のコモディティ化は、広域網の費用低下というメリットだけでなく、システム構築の考え方そのものを変革するきっかけになる。
例えばSaaS(サービスとしてのソフトウェア)がある。これまでのASP(アプリケーションサービスプロバイダ)は回線速度やWeb技術の制約から、比較的単純なシステムしか提供できなかった。しかし構内網と変わらない回線速度で、社外のシステムに暗号化技術で安全に接続できる環境がととのい、またWebサービスやDHTMLなど、Webアプリケーションの使い勝手が大幅に改善されたため、中核業務に近いシステムまでネットワーク経由で提供されるようになった。
IDC Japanの調査ではSaaSはEDM(エンタープライズ・リソース・マネジメント)ソリューションと呼ばれているが、2004年の同市場は前年比1.9%増の7,816億円、2009年には8,896億円に達するという。
BPOがノンコア業務を業務・設備ともに外部委託するのに対し、SaaSはコア業務の設備だけ外部委託するイメージとなる。もちろんそれにはSaaSが提供する業務システムが高度なカスタマイズをゆるす設計になっている必要がある。この点もコンピュータの処理性能の向上と、オブジェクト指向設計の普及で現実のものとなっている。
また米グーグルの「グーグル・スプレッドシート」や「ライトリー」のように、これまでパソコンにインストールするのが常識だった表計算やワープロソフトも、5年後にはストレスなくネットワーク経由で利用できるようになっているだろう。顧客管理システムでは米セールスフォース・ドットコムが急成長しており、創業から2005年までの5年間でユーザ企業数が15,500社に達している。
SaaSはベンダー側にとっても売り切りのシステム構築と違って、安定的に利用料収入が見込め、同じ設備を複数顧客で共有することで投資効率を高めることもできる。ただし高度な業務・業界知識がなければ他社と差別化できない点で、参入障壁は高いといえる。
ただ表計算やワープロについてはSaaS型の普及後も有償のままというのは難しいだろう。5年後には表計算やワープロ機能そのものは無償、情報共有やデータ蓄積などの付帯サービスを収入源にするという事業モデルになる可能性が高い。
一般消費者にとっての高速回線・高性能のコモディティ化は、動画サービスの普及に端的に現れている。ブロードキャスト型、ダウンロード型の一方向のサービスだけでなく、利用者参加型の動画アップロード・サービスも急速に普及している。2006年2月からの半年間で、米YouTubeは4倍の731万人、Yahoo!動画は2倍の396万人と利用者が急増している(2006年9月26日付日本経済新聞。ネットレイティングス調べ)。
ただし事業モデルとしては、依然としてコンテンツの制作費や設備投資を広告収入でまかなうモデルを超えないし、利用者参加型サービスも広告収入が柱だ。一般消費者にとっての高速回線・高性能のコモディティ化は、コンテンツやサービスそのもののコモディティ化(お金を払ってまで利用したくない)欲求を誘発するので、収益性については楽観できない。後述のように5年後も寡占化の流れはつづくだろう。
◆消費者嗜好の細分化
消費者嗜好の細分化と言われて久しいが、その細分化はいまや趣味の異なる集団どうしの意思疎通が成立しなくなるところまで進行している。異なる世代間だけでなく、同じ世代の中でさえ、例えばボディーボードが趣味の若者と、フィギュア作りが趣味の若者の間では共通認識が成立しない。
ただ、インターネットは嗜好の細分化した社会のコミュニケーション基盤として非常に効率がいい。今までマニアが苦労して入手していた希少な財やサービスも、検索エンジンで簡単に見つけ出せる。ロングテールと言われる現象が起こっているのは、背景に嗜好の細分化があるからなのだ。
また、共通のマニアックな趣味をもつ人々が、同じジャンルの商品のオンラインショッピングやオンラインオークション、SNS(ソーシャル・ネットワーキングサービス)を通じて接触するチャンスが増える。これまでは物理的な制約で知り合えなかった人たちも、インターネットによって同じ嗜好を持つ者どうしでコミュニティーを形成できる。そしてそれぞれの嗜好に特化した情報を配信することで、企業側もマイナーな商品の購買機会を発見できる。
ただし最終消費者向けのインターネット分野は今後5年間で確実に寡占化がすすむだろう。2006年7月の富士通総研の調査によれば、ネットショップのシェアで、書籍・雑誌はアマゾンと楽天ブックスだけですでに80%以上、音楽CD・ビデオ・DVDはアマゾンだけで56.5%となっている。2006年6月ネットレイティング調査では、サイト総利用時間シェアでYahoo!JAPANが16.3%と、2位の楽天市場の2.1%を大きく離し、総ページビューでもYahoo!JAPANが25.4%で、2位の楽天市場の3.0%に大差をつけている。また両者でミクシィが3位につけていることから、国内SNSではすでにミクシィの独占が確立していることが分かる。
SNSでは個々のコミュニティーの市場規模が非常に小さいため、できるだけ多くのコミュニティーを集客しないかぎり収益は上がらない。またネットショップがロングテールの尾っぽにあたる膨大なマイナー商品を扱うだけの巨大なデータベースを構築・安定運用するには、かなりの資金力が必要になる。すでに寡占を確立している企業が圧倒的に有利で、寡占企業でさえさらに成長できるかどうかは、特殊な嗜好にこたえるサービス提供をいかに自動化できるかにかかっている。
◆番外編:5年後を占えない「ガセ」キーワード
番外編としてIT業界の5年後を占うのに役に立たない「ガセ」キーワードにふれたい。その筆頭が「Web2.0」だ。一部のベストセラーでWeb2.0がグーテンベルク以来の知的革命であるかのように喧伝されている。しかしWeb2.0の要素技術は、Webサービスにしても検索エンジンにしても着実な技術開発の結果にすぎず、10年前の情報技術と断絶はない。むしろネットワーク効果で利用者が指数関数的に増えたことが、革命という錯覚を呼んでいるだけだ。
ロングテール現象も先述のように嗜好の細分化した現代社会をネットが反映しただけのことだし、アフィリエイト広告で生計を立てるなどということが、長続きしない先行者利益でしかないことは、最近のアフィリエイトブログ(=商品購入サイトに誘導する広告ばかりで中身はからっぽのブログ)の氾濫を見ればわかる。
現代社会は嗜好の細分化によって、かえって共通の話題になる事大主義にみんなが飛びついてベストセラーが簡単に生まれてしまう。しかし自分のキャリアパスや今後の社会を考えるときは、底の浅い扇動にまどわされず、冷静に現実を分析することが大切だ。