北田暁大著『嗤う日本の「ナショナリズム」』

北田暁大著『嗤う日本の「ナショナリズム」』(日本放送出版協会)を読んだ。インターネットという媒体がもつ日本的に特殊な位置づけについて、梅田望夫氏『ウェブ進化論』などの「森林資源のムダづかい本」と比べると的確に分析されている。
北田氏による各時代の分析は以下のように要約されると思われる。
1970年代は連合赤軍に見られるような反省の自己目的化(反省のための反省、「総括」のための「総括」)。
1980年代は糸井重里に代表される、自己目的化した反省への抵抗としての無反省。
1990年代は「抵抗」という契機さえ失った純粋な無反省(『きょうきん族』や『紅鯨団』など「楽屋オチ」中心のバラエティー番組)。皮肉な無反省。
そして今は、1990年代の皮肉な無反省を支えていたマスコミという「大きな物語」さえもが単なるネタになり下がり、皮肉の応酬を内輪で際限なくつづける冷笑的態度(「2ちゃんねる」がその代表)。
このように北田氏の分析は弁証法的展開を見せるが、「2ちゃんねる」利用者などの、メディアに対して冷笑的態度をとりつつ「あえて」コミットできる程度にメディアリテラシーの高い自覚的な人々はごく一部だと思われる。
ほとんどの人が『国家の品格』のような国家主義的なメッセージの強度や、ワールドカップでの国家主義的な盛り上がりに、単純に反応しているのではないか。
『国家の品格』を読んで「我が意を得たり」と思ってしまう人は、まず本書のような書物を手にとらないだろうということを考えると、現代日本におけるこの鋭利なナショナリズム分析も、ごく狭い論壇の内部でしか流通しないマイナーな言説でしかない、というのは悲観的過ぎる見方だろうか。