東大の先輩から「サラリーマン社会の生きづらさ」に助言

先日の記事「不興を買うのを覚悟で書くサラリーマン社会の生きづらさ」について東大の先輩から東大生のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)経由で助言をいただいた。サラリーマン生活では、同僚でさえも「お客様」と見なせばよい、という助言だ。
僕の場合、会社の人間関係については別の割り切り方をしていて、酒が飲めないこともあり、勤務時間外の付き合いは一切しないし、相手の私生活に踏み込むようなことも一切聞かない。
仕事を進めるための必要最小限のコミュニケーションがあればよいのであって、それ以上、コミュニケーションに時間を費やすことは、非効率的である。というのが僕の会社の人間関係についての割り切り方だ。
僕は社内システム部門という、社員に対してサービスを提供する部門にいるので、その意味ではもちろん、システムを利用する部門の社員に対しては「お客様」と見なして接するように心がけている。
したがって、同じシステム部門の部下に対しては「お客様」として接するわけには行かない。サービスを提供する側の組織の内部では、上司も部下も、他部門に対して「お客様」として接するという目的と、サービスを提供する側であるという意識を共有しなければならないからだ。
したがって、同僚一般に対しては仕事に必要最低限のコミュニケーションしかとらないことで、組織全体として見たときの業務効率を最大化するよう努力し、同じ部門の同僚に対しては、ビジョンや目的を共有する同志として、お互いを「お客様」のように扱うようなこれまた冗長で非効率的なコミュニケーションはしない。
会社組織の内部で、すべての社員がお互いを「お客様」として扱うなどということをやっていたら、社内のコミュニケーションだけで社員が疲弊してしまい、会社組織の外部の、本当の意味での「お客様」やその他の利害関係者(株主、監査人)のために割くエネルギーが残るはずがない。
僕はそういう考え方なので、残念ながら上述の東大の先輩の助言に全面的に賛成することができない。
短期的なテクニックとして、同僚を「お客様」と見なすのが良いというのは、全くそのとおりだと思う。しかし、ある会社組織が、つねづね社員どうしで「お客様」と見なさざるを得なくなっているとすれば、その組織は、すでに対外的な視点を軽視し始めている証拠だ。「内向きの」組織になってしまっている証拠である。
これは社員一人ひとりの動機づけの問題にも関連している。社内で社員どうしがおたがいを「お客様」として尊重しなければ、個々の社員の動機づけが維持できないような会社組織は、きわめて非効率である。
本来なら、本当の意味での社外の「お客様」のために、一人ひとりの社員は、社内で「お客様」として尊重されるされないに関わらず、自分の内部からわきあがってくる仕事への使命感や動機づけによって仕事をすべきではないだろうか。
そして、社員一人ひとりが、そういう内部からの動機づけを持っていれば、社内で社員どうしがお互いに「お客様」あつかいする必要はなくなり、社外に視線を向けて本音の議論をたたかわせることができるはずだ。
ところが、えてして日本の会社組織では、社員の視線は内向きになりがちである。内輪であつれきを産まずに、仲良くやっていくこと、組織内部に波風を立てないことが最優先されてしまう。本来、優先されるべきなのは、所属部署の外部や、会社組織の外部にいる、本当の意味での「お客様」に対する視線であるにもかかわらず。
会社組織の外部から見れば、会社組織の内部で社員どうしが「動機づけを維持するため」と称して、お互いをお客様あつかいしている様子は、まったくもって滑稽にしか映らない。最近の「動機づけ型社員育成」のブーム(コーチングがその代表例)の滑稽さはここにある。
が、ほとんどの日本の組織というものが、民間企業だけでなく、公的セクターの組織もふくめて、こういった「内輪での無意味な持ち上げ合い」で運営されているのはやはり厳然たる事実なのだ。
だからこそ、書いても仕方ないと思いながらも、サラリーマン社会の生きづらさを書かせていただいた、というわけである。僕はこの状況が一朝一夕には変わらないし、何十年たってもおそらく変わらないだろうと既に分かっているからだ。
このように僕の視点は、自分の意志にかかわらず、つねにメタレベルへと一段上がって、高みから自分のおかれている状況を他人事のように見下ろしてしまう。宮台真司の用語を借りれば「超越系」の人間だから仕方ない。
あらためて宮台真司の「内在系」と「超越系」のわかりやすい定義を引用しておく。
「『内在系』とは、仕事が認められ、糧に困らず、家族仲よく暮らせれば、幸せになれる者のこと。『超越系』とは、仕事が認められ、糧に困らず、家族仲よく暮らせても、そうした自分にどんな意味があるのかに煩悶する者のこと。〈社会内〉のポジショニングには自足できない存在です」(『限界の思考』p.103)
僕自身が「超越系」であり、大部分のサラリーマンが「内在系」である限り、僕にとってのサラリーマン社会での生きづらさは解消されないのだ。そしてそのこと自体も僕は知っている。

0 thoughts on “東大の先輩から「サラリーマン社会の生きづらさ」に助言

  1. LINTAI

    同僚をお客様とみなすことについて

    ブログ「愛と苦悩の日記」の筆者さんが、私がお送りしたメッセージに関する記事を思いがけず載せてくださいました。いつもどうも有難うございます。ちょっと補足させていただきたいと存じます。下記が、私からお送りしたメッセージの主要部分です:記事、読みました。お気持ち少しわかります。社内の「分からず屋」には困ったものですね。私の場合、上司は勿論、隣席の同僚も「お客様」だと思って割り切ることにしています。お客様なら、何度も同じ説明をするくらいはまだよい方、誤解に基づく苦情にさえ、辞を低うして耐えねばなら……