日常生活を相対化する視点の重要性

会社員を長く続ければ続けるほど、会社での仕事以外のために割ける時間が少なくなってくる。年齢が高くなって組織の中での責任が重くなり、退社後も仕事のために時間を割かざるを得ないということもあるし、体力・気力の面で他のことに手を出そうという意欲が低下してくるということもある。
数年前に比べると仕事に無関係な本、つまりITに関係のない純文学や現代思想書、経済学書などを読む量は確実に減っているし、世俗的で効率性重視の思考を超えた視点でものを考えることも、だんだんと難しくなってきている。
要するに自分の思考がだんだんと陳腐で、いかにもサラリーマン的なもの、実業的・功利主義的なものに馴致されつつあるということだ。
それでも自分がそうして実業的・功利主義的な思考にならされつつあるという自覚があるだけ、まだましだと思っているのだが、こういったある種「超越論的な観点」を維持するために、サラリーマン社会や日常生活というものを完全に相対化できる視点へのリファレンスを、できるだけ失わないようにしなければならない。最近、あらためてそう考える。
僕の場合は現代思想書や、高橋源一郎のような前衛的な現代文学が、日常を完全に相対化する視点になっている。単なる気晴らしに終わらない、一定の強度のある読書体験が、僕にとっての「二本目の足」(三本目?)で、たとえ仕事上の問題をかかえても、それを客観的に眺めることを許してくれる観点なのだ。...のはずなのだが。