胃カメラ体験記(未体験者必読)

生まれて初めて胃カメラを飲んだ。去年の健康診断で胃炎と診断され、内視鏡検査をすすめられたが、結局、一年間胃カメラを飲まずじまいだった。
胃カメラの検査は身体測定、採血、聴覚・視覚検査などの最後。もったいぶるので余計に緊張させられた。他人よりかなり神経質なので、こういう初体験の前は相当ナーバスになる。
いよいよ名前を呼ばれ、検査室前の椅子にすわると、看護師さんから胃の中をきれいにする液体を飲むように言われる。紙コップの中の無色透明の液体は、少しとろみがあって、甘みもあり、決しておいしくはないがふつうに飲み干せる。
次には、唾液をおさえ、胃の動きを弱めるための筋肉注射をされる。弱い麻酔のようなものらしい。注射の場所はインフルエンザの予防注射と同じ上腕部。薬を押し込むときにグッと痛みがあるが、大したことはない。
この注射、看護師によれば、人によって目がチカチカしたりすることがあるらしい。僕の場合は、健康診断が終わったあと、近くの大型書店で文庫本を立ち読みしていたとき、目のピントがまったく合わず、文字が二重に見えるという症状が出た。もちろん数十分で完全におさまった。
筋肉注射の次は、のどの麻酔だ。看護師さんが小さく太めの注射器に、無色透明の液体を入れてもってくる。注射器には針がなく、先端はスポイトのような管になっている。
椅子にもたれて上を向き、口をあけているように言われる。すると看護師さんが注射器を口の上にかまえ、とろっとした無色透明の液体を舌の上に垂らす。飲み込まず、上を向いたままで、口の中に3分間ためておくように言われる。
言われたとおりにしていると、たしかに舌がしびれて感覚がなくなってくるのがわかる。しかし舌ばかり麻酔しても意味がない。胃カメラが通るのはのどなのだから、のどに麻酔を効かせなければ。
そう思った僕はうがいのときのようにどの奥を開いて、舌を上の方に持ち上げた。すると麻酔がとろりと舌の上からのどの奥の方へ流れ出す。看護師さんに飲み込んでも無害だと言われていたので、少々ごくりとやるのを覚悟で、のどの奥の奥まで、とろみのある麻酔をゆっくり流し込んだ。
3分たつと看護師さんが再びあらわれ、麻酔のとろみを洗面所で吐き出すように言われる。うがいをすると意味がないので、口の中に残っているとろみを水で洗う程度だ。そしていよいよ胃カメラ検査室に通される。
胃カメラの機械は2分の1のサーバラックぐらいの大きさで、それに満載したサーバくらいの音を立ててベッドの枕元に鎮座している。黒い蛇のように伸びたカメラの先端から、紫がかった青い光が高速にちらちらと明滅している。宇宙船の一室といった雰囲気。
ベッドに横向きに寝るように言われ、円筒形の樹脂を噛まされる。これで口が閉じられなくなるので、唾液は口元のステンレスのトレーに垂らすように言われる。三十半ばになってよだれを垂れ流しというのは、やや屈辱的である。
三十代前半の男性医師が入ってきて、胃カメラを手に取ると、看護師が検査室の照明を落とす。なぜ照明を落とすんだ?患者をリラックスさせるためか?と思ったが、よく考えると医師に胃カメラのモニタがよく見えるようにするためだ。視線は遠く壁のほうをまっすぐに見ているように、全身から力を抜くように、いろいろ注文をつけられる。
そして、ついに胃カメラ挿入。のどは麻酔されているので痛みはないが、筋肉注射はあまり効かなかったようで、嘔吐反射が強い。胃カメラがのどを通ろうとすると、のどが勝手に収縮して「オエッ!」となる。
それを3~4回繰り返したので、医師は冷静に「じゃあ通しちゃいますね」と言い、強引に胃カメラを押し込んだ。巨大な飴玉を飲み込んだような感覚があった後、ようやくカメラが食道に入ったようだ。強引に入れられたせいで、二、三日、のどに、風邪のひき始めのような鈍痛が残った。
あとは身体的な痛みはまったくない。胃にカメラが到達しても、すこし圧迫感がある程度だ。しかし「とんでもなく長いものを飲み込んで、この状況からあと5分間は逃れられないのだ」というパニック感が高まるが、目の前に医者と看護師がいるので、されるがままと観念したら、全身から力がぬけた。
それに、検査の前半、看護師さんがずっと背中をさすってくれていたので、それだけで随分気が楽になった。酒を飲まない僕にとって、嘔吐して背中をさすられたのは、子供のとき以来だ。
驚いたのは、検査中、カメラが前後に移動する長さが意外に長いこと。カメラの方向転換をするために、途中、カメラをおそらく30~50センチくらい一度引き抜いて、また胃の中へ押し込む。すると胃にぐっと圧迫感がくる。
そして胃カメラの医師の手元には液体を注入する口がついているらしく、検査中、何回か注射器を差し込んで何かの液を注入していた。注入するたびに胃の中にひやっとした液体が広がって、お腹いっぱいな感じになる。
するとその液体に押し出されて、胃の中の空気が行き場を失い、検査中、僕は何度も長いげっぷをした。あんなに長いげっぷを続けてしたのは、生まれて初めてである。他の人もああいうげっぷをするものなのだろうか。
ようやく検査が終わり、胃カメラが引き抜かれた。引き抜くときは、挿入するときの嘔吐反射の苦痛がウソのように、するっと何事もなく抜けた。しかしその後、口の端からよだれがダラダラ垂れるのがかっこ悪い。看護師さんの前で醜態をさらすのがまた屈辱的だ。
診断結果は慢性胃炎ということで、胃がんに変わる可能性もあるので、定期的に胃カメラ検査を受けるようにとのこと。検査に思ったより時間がかかったのは、組織の一部を切り取ったからのようだった。
僕は酒もタバコもやらず、少食、やせ型で、健康診断では胃の他にまったく異常がないので、老衰と自殺の他に自分の死のイメージを抱けなかった。しかし、ここに「胃がん」という非常に具体的な可能性が出てきたというわけだ。
酒もタバコも暴飲暴食もやらない、辛い食べ物も嫌い、コーヒーも一日1杯飲むか飲まないかなのに、慢性胃炎になる原因はただ一つ、ストレスである。それも対人関係のストレスだ。
普通の人になら何でもない日常会話ひとつとっても、僕にとっては舞台の上でアドリブを言わされるような緊張感があるのだから、当然だ。このストレスから逃れようとすれば、引きこもって失業するしかないので、慢性胃炎はこのまま着実に悪化するだろう。
でも、胃がんなら悪くない。抗がん剤で無意味な延命をして散財するより、多少の胃痛をかかえながらでも、モルヒネだけの末期治療で、病院のベッドの上で半分眠りながら死ねるのなら、悪くない。
老いて孤独死して、腐敗した死体を発見されるよりは、五十代でも病院のベッドで清潔に死ぬ方が美しいだろう。(下記のブログを参照)
「特殊清掃『戦う男たち』―自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去まで施行する男たち」(※食事前、食事中にお読みにならぬようご注意を)